文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

いつか赤ちゃんに会いたいあなたへ

医療・健康・介護のコラム

2度の流産後、10年間の不妊治療 悩んだやめどき

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

3日に1度は片道3時間の長距離通院 時にはホテル滞在

2度の流産後、10年間の不妊治療 悩んだやめどき

 そこでの治療方針は、「顕微授精で、それに向けて基本的には地元の協力医に経過を診てもらいながら、採卵や移植など要所要所で関西に通院する」となりました。そのため、まずは自分で地元の協力医を探すことから始まりました。しかし、Tさんの地元は地方のため、産婦人科自体数が少ない中で、特殊な形の診察となるとなかなか受けてもらうことができず、たらい回しのような状態になってしまいました。

 何とか引き受けてくれる病院を見つけ、通い始めたのですが、医師やスタッフとのコミュニケーションがうまくいかなかったりしてストレスを感じる面も多く、結局は経過観察も関西の病院まで出向くことになりました。そうなると多い時には、3日に1度は片道3時間の長距離通院が必要となり、時には数日間ホテル滞在しながら診察を受けるなど、体力面に加え経済的な負担も大きくなっていったそうです。

自分を不妊治療に追い込んでしまった

 それだけのことをして、妊娠につながれば良いのですが、思うように卵が育たなかったり、採卵しても卵子が採取できなかったりと全く前に進まず、心身共にとてもエネルギーの要る時期が続きました。「今考えると、少し治療をお休みしたり、もっと肩の力を抜いて治療に向き合ったりということも必要だったのかなと思うんですけど、お休みしてもどうせまた始めないといけないし……。それなら、年齢的な面でも、少しでも早く、そして治療もやり続けた方が良いのではないかという気持ちもあって、気負ってしまったり、自分自身を追い込んだりしていた面もあったように思います」と、当時を振り返ってTさんは話します。

 また結婚当初はあまり妊活に前向きではなかった旦那様も、この頃には子どもを強く望むようになっており、「自分は主に費用面でしかサポートができないけど、どんなことをしてでも治療をしよう」と言っていました。それもあって、Tさんは、もうやめることも休むこともできず、どんどん不妊治療に追い込まれていったそうです。

 「もちろん子どもは欲しいし、何とか旦那様を父親にしてあげたい。その気持ちも強かったけど、やっぱりこのころからもう、少しずつ自分の中で、治療に対するモチベーションが保てなくなっていって……」とTさんはつらそうに話します。

ピルの副作用やインフルエンザで弱り、「死んでしまう」

 なぜなら、Tさんの場合、ピルなどの副作用が強く、治療中は常に体調が優れなかったそうです。そんな中、季節外れのインフルエンザにかかって、そこから一気に体が弱ってしまったのです。日々の食事をとるのが難しくなり、ひどい時には水分もうまく吸収できず、普通に座っていることさえつらい状態になっていました。「一見『拒食症』を疑われるほどやせ、自分でもこのままでは死んでしまうと……。大げさなようですが、そのくらい切羽詰まった状況でした」

 当然周囲からも、「妊娠どころかその前に本人の体が壊れてしまう」と心配され、ある日やせ細ったTさんの腕を見た (おい) っ子から「ママ大変! Tちゃんが死んじゃう! 早く病院に連れて行って!」と言われてしまうほどだったといいます。

やめる、やめないで夫との話し合いは平行線

 旦那様の前でも、「もう無理、しんどい」とストライキを起こすことも度々だったそうですが、それでも旦那様の強い希望もあり、Tさんも「ここまで頑張ったのに今治療をやめてしまったら、ずっと後で後悔することにならないだろうか」という気持ちがなかなかぬぐえず、やめる、やめないという話は平行線のまま、また長い期間が過ぎていました。

 その後、転勤や生活環境の変化などもあり、また、関西の病院で可能な限りの治療をやり切った感覚もあったため、夫婦で話し合った結果、「すでに凍結保存してある受精卵を子宮に戻し、それがダメだった場合は、地元の病院に移って少しスローペースで治療を続けよう」と決めたそうです。

 結局、最後と決めた移植でも残念ながら妊娠はできず、関西への遠距離通院は終了。「自分の中では、その頃にはもう不妊治療は終わっていたように思います」とTさんは話します。「モチベーションはずいぶん前から少しずつ少しずつなくなっていき、最後の移植結果が残念ながら陰性だったことにも、心のどこかでは『まぁ、そうだよね……』というあきらめの気持ちもあったような気がします」

いろいろな思いの積み重ねで治療終了へ

 「治療の終了を決めたのはいつですか?」と聞かれることがあるそうですが、Tさんの場合ははっきりと「このタイミング」というものはなく、「本当にいろいろなこと、想いの積み重ねで少しずつ気持ちが終了へと向かって行ったというのが正しい表現のような気がする」といいます。

 その一方で、Tさんとは裏腹に、旦那様は最後まで「妊娠するまで治療を続ける」という気持ちでいたそうです。「結婚当初は私の方が子どもを望み、その頃はさほど望んでいなかったのに……」とTさんは顔が曇ります。そのことで今さら旦那様を責めることもできず、かといって心も体も限界で、やはりTさんは再び治療に臨むことはできないと、ほぼ押し切る形で治療を終えることになったそうです。「とても複雑な感情で苦しかった」と言います。

終わり方に夫が納得しているのかは分からない

 「正直なところ、夫はこの終わり方に納得をしているのかは分からないんです。ちゃんと話をしていなくて。この問題に向き合うのは夫婦であってもあまりに難しく、そしてデリケートなことで、すごく時間がかかるようにも感じています。なので、今後少しずつでも気持ちの整理をしていければ」と、Tさん自身は思っているそうです。

 このようにして、Tさんは約10年間に及ぶ不妊治療を終えました。治療期間中も感じていたことは、「つらさやしんどさを話したり、カウンセリングを受けたりできるような場はないのだろうか、こんなに一人で気持ちを抱えているのに」ということだったそうです。

 そんな時、NPO法人Fineのスタッフと出会い、「今までいろいろなことを犠牲にしながら、時間もお金も費やして治療をがんばってきたんだから、これからは自分のために結果の出ることに挑戦してみても良いんじゃないかな」と言葉をかけてもらったそうです。

今度は自分と同じ境遇の人をサポートしたい

 「私の30代は治療中心だった……。あんなに授かりたくて頑張って、でも出産できなかった私たちに、一体何が残ったんだろう?というやるせない気持ちと同時に、今度は自分が同じような境遇の人をサポートする側に回りたいという思いが湧き上がってきました。そして、何よりこの10年間を無駄にしたくないという気持ちも」。子どもは授かりませんでしたが、治療を経て得たものも多く、今のTさんにとってはかけがえのないものになったといいます。そして、今後は自分が経験した流産後の心のケア、治療を終了したカップルのサポート活動をしていきたいという思いを持っているそうです。

 「今でも『夫から子どもを持つ夢を取り上げたのは自分だ』という罪悪感もありますし、この決断が正解だったのかはわかりません。きっとこれからもいろいろな気持ちを抱え、心が揺れ動いたり、もしかしたらこの先、後悔したりすることもあるのかも。けれど今では夫も私の思いを理解し、見守ってくれています。これからの人生を夫と寄り添いながら歩み、少しずつ私たちなりの答えを見つけていければいいなと思っています」と笑顔で語ってくれました。

 不妊治療のやめどきは、ひとことで言うほど簡単なことではありません。必死の思いでやめても、あとあと引きずってしまうこともあります。今、治療の継続に悩んでいる方は、ぜひおふたりでたくさんの話をして、互いの思いを伝え合って決断してほしいと願います。(松本亜樹子 NPO法人Fine=ファイン=理事長)

2 / 2

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

meet-baby_title2-200-200

松本亜樹子(まつもと あきこ)

NPO法人Fine理事長/国際コーチ連盟認定プロフェッショナルサーティファイドコーチ

 長崎市生まれ。不妊経験をきっかけとしてNPO法人Fine(~現在・過去・未来の不妊体験者を支援する会~)を立ち上げ、不妊の環境向上等の自助活動を行なっている。自身は法人の事業に従事しながら、人材育成トレーナー(米国Gallup社認定ストレングス・コーチ、アンガーマネジメントコンサルタント等)、研修講師として活動している。著書に『不妊治療のやめどき』(WAVE出版)など。
Official site:http://coacham.biz/

いつか赤ちゃんに会いたいあなたへの一覧を見る

最新記事