新・のぶさんのペイシェント・カフェ 鈴木信行
医療・健康・介護のコラム
原因不明の倦怠感 授業中も意識がもうろうとして 若い女性に多く発症 全身性エリテマトーデス
体育の授業に出られず留年 特別支援学校に転校
「当時は驚きました。だって、難病なんだから、『もう少しやれることはないの?』って思って。放り出されたような気持ちでした」
医師を責めているのではない。今以上に、医療になすすべがなかったのだろう。
通学する日々に戻ったものの、手の痛みでペンが持てない。登校するだけで体力を使い果たした感じが続いた。授業中も、意識がもうろうとして、内容が頭に入らない。休む日が増え、体育の授業は参加できず、留年が決まった。
このままでは何年たっても卒業できない。そこで、各自の体調に合わせた授業が可能な特別支援学校へ転校して、入院生活を送ることになった。
当時はステロイドの飲み薬と鎮痛剤による症状の緩和が、ほぼ唯一の対処方法だったという。
しかし、強い鎮痛剤を服薬すると、副作用のために肝臓が悪くなるなど、別の問題が生じてしまい、なかなかうまくいかなかった。検査データは良くても、自分では体調の悪化を感じるなど、検査結果と自覚症状がうまくリンクしないことも多かった。病気との付き合い方に難しさを感じていた。
「薬を飲んでも飲まなくても、症状が変わらないという感じがあって……」
医師にもなかなか理解しがたい状況。治る見込みのない病気。10代という多感な時期を、自分の体と向き合うことに労力を注ぐことになった。
高校卒業後、一人暮らしに挑戦 しかし、就活は……
しかし、彼女の真価はここで発揮された。
「自分で改善できることは自分でやる」
そう考えたそうだ。
治療は、医療にだけ頼るものではない。入院中も、病院のベッドで寝てばかりいてはだめだと考え、体を動かすなどした。自分の可能性を、自分で広げた。多くの大人が反対するなか、高校卒業後、子どもの頃から決めていた一人暮らしを始めた。
大学へ進学する頃には症状にも慣れてきた。一見、体調は落ち着いていたようだった。しかし、就職活動をする時期になると、優れない日々がまたも続くようになった。希望した就職はできず、大学院修了後は不本意ながら実家に戻ることにした。
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