知りたい!
医療・健康・介護のニュース・解説
刃物が怖くて台所に近づけず…池田小事件20年後の元児童が伝える「当たり前に生きていることは奇跡」
当時の光景が目に浮かび、胸を締め付けられた人もいたのではないでしょうか。
8人の幼い命が理不尽に奪われた大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の児童殺傷事件から、8日で20年になりました。
「今もあの子を抱きしめたい」。犠牲になった我が子を思う、そんな親たちの言葉が今年も重く響きました。
多くの記者が長年、遺族の取材とともに続けてきたことがあります。
惨事に遭遇し、級友を失い、傷つきながらも成長した当時の児童らの声に耳を傾けることです。
私は今年から取材班に入り、先輩記者らが残したメモを読み返しました。
取材が始まったのは事件の10年後です。包丁を持った犯人に教室を襲われる経験をした1、2年生の児童は、高校生になっていました。何を思い、どう生きようとしているのか――。記者5人が、連絡先がわかる人全員に手紙を書き、自宅を訪ねました。
「思い出したくない」という生徒もいましたが、自らの言葉で語ってくれる生徒もいました。以来、毎年6月8日が近づくと連絡を取り、記事で紹介してきました。
これまで話を聞かせてくれたのは計23人。事件の経験から、子どもの命を助けたいと小児科医を目指す人、報道の仕事に携わるようになった人もいます。子ども食堂を始め、不登校の児童の支えになっている人もいました。
今回、私が話を聞いた中には初めて取材に応じてくれた人もいました。
広島市の会社で働く小島舞子さん(26)は当時1年生。教室で同級生4人が刺され、戸塚 健大 君(当時6歳)が亡くなりました。廊下が血だらけになった光景が頭から離れず、「私が刺されていたかもしれない」との恐怖感にとらわれてきました。刃物が怖くて台所に近づけず、今も血を見ると胸が苦しくなります。
大学生の頃、友人の死にも直面し、「当たり前に生きていることは奇跡なんだ」との思いを強くしました。
小島さんは目に涙を浮かべ、こう語りました。
「何年たっても心の傷に苦しむ同級生が他にもいる。人との別れは、いつ訪れるかわからない。今日が最後かもしれないと思って、出会いを大切に生きていきたい」
多くの「元児童」たちが口にした言葉があります。
「つらくて逃げ出したいことがあっても、あの事件があったからがんばれる」
胸の奥には、生きたくても生きられなかった8人の存在があり、「自分は恥ずかしくない生き方をしたい」という思いがあるようです。
今年は「話を聞いてくれてありがたかった」と私に言う人もいました。同世代には事件を知らない人もおり、「社会から事件が忘れられるのではないか」という危機感があるのだと思いました。
20年は時間の区切りではあります。しかし、事件を経験した人の心の中で区切りはないのでしょう。時が流れても、当事者の声に耳を傾け、伝え続ける。私たちの仕事も変わることはありません。
今回の担当は
福永正樹(ふくなが・まさき) 四国4県と広島、岡山などの各県で勤務。最近はコロナ禍で困窮する飲食店主や留学生を取材する。
身近な疑問や困り事、記事への感想や意見を寄せて下さい
〒530・8551(住所不要)読売新聞大阪本社社会部「言わせて」係
QRコードから「友だち追加」してください
【関連記事】