いつか赤ちゃんに会いたいあなたへ
医療・健康・介護のコラム
無精子症発覚で、やむなく精子提供 妻が望まぬ治療を無理に進めた悲しい結末
「もう続けられない。限界」と訴えたが、夫と意見折り合わず
「もう、これ以上治療は続けられない。もう限界と思いました」
思い切って夫に告げたら、夫は「なぜそんなことを言い出すのか」とでもいうような意外な顔をしたそうです。夫は、妊娠するまで治療をやめる気がなかったのです。いくら話をしてみても、双方の意見は合致することはありませんでした。夫は「続ける」の一点張り。しかし、Hさんが受けたくないというものを無理やり受けさせることもできません。病院に行かなくなったHさんに対して、夫は次第にいらだちを見せるようになり、それから夫婦の仲がうまくいかなくなっていったそうです。そして、その後、結局Hさんは離婚をすることになってしまいました。
離婚の際、義母は「あなたが頑張らなかったから」
いまだに忘れられないのは、離婚の際、義母に「あなたが頑張らなかったから、子どもができずに別れる羽目になってしまったのよ。あなたが悪い。あなたでなければ、うちの息子は幸せになれたのに」と、あろうことかきつく責められたことだそうです。しかも義母は、夫に不妊の原因があることを知っていながらHさんを責めたといいます。AIDのことまで知っていたかどうかはともかく、私もHさんからこの話を聴いた時には信じがたく、その時のHさんの気持ちを考えると、あまりの理不尽さにやるせなく、涙が出る思いでした。
Hさん夫婦のように、AIDを行うカップルは少なくありません。日本では慶応大学病院で1948年に初めて実施され、それから約70年以上行われています。このAIDによって生まれた子どもの数は、約2万人と推測されていますが、確かな数はわからないそうです。それほど表に出てこなかった治療であるということです。この治療を受けて子どもを授かり、親子ともども幸せに暮らしている方も多くいらっしゃいます。そうした面では、この治療は不妊症のカップルに大きな福音をもたらすといえるでしょう。
カップル二人のインフォームド・チョイスが必要
しかし、この治療で最も大きな課題と言われている「生まれた子どもの出自を知る権利」は、いまだ保障されていません。その点も含め、またHさんのようにカップルそれぞれの気持ちに寄り添った時、これは十分なカウンセリングを経た上での、カップル二人のインフォームド・チョイス(インフォームド・コンセントをより一歩進めた概念。 コンセントは十分な説明の上で、双方(医療側と患者側)が合意すること。 チョイスは十分な説明を受けたうえで、患者側が自らの意思で選ぶこと)が必要な治療であると思います。
不妊治療の主役は、生まれてくる子どもだと私は長年お伝えしています。夫婦はもちろんですが、誰よりも生まれてくる子どもが幸せになることこそが、不妊治療の目的であるといえるのではないでしょうか。
Hさんはその後、資格を取得し、自分のつらかった経験も生かして人をサポートする仕事に携わっています。やっと当時のことを話せるようになった、とすっきりとした顔で話を聴かせてくれました。「結婚して子どもを持つことが幸せだと思っていたけれど、そこだけにこだわっていると、大切なものを見失うこともあると実感したし、今では他の形の幸せもあるんだなって思えてきました」。Hさんのこれからの人生が、希望に満ちたものになることを願っています。(松本亜樹子 NPO法人Fine=ファイン=理事長)
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