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遺族「火山と共存できる街づくりを」…普賢岳・火砕流30年、鎮魂の祈り
43人の死者・行方不明者を出した長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から、3日で30年となった。被災地の同県島原市では犠牲者の追悼式が営まれ、遺族や消防、行政、報道の関係者ら約150人が鎮魂の祈りをささげた。
5年ごとの節目には、遺族を招くなど例年より規模を拡大していたが、今回は新型コロナウイルス下のため来賓を減らして屋外で開催。雨の中、同市仁田町の仁田団地第一公園の「雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑」前で、全員で黙とうした後、古川隆三郎市長が「志半ばで犠牲となられた皆さんの無念の気持ちを察すると、万感胸に迫る。災害で得た経験を後世につなげたい」と述べた。
その後、遺族らが碑の前の献花台に花を手向け、消防団員だった夫の大町安男さん(当時37歳)を亡くした妻・ 寿美 さん(64)が遺族代表であいさつし、「災害の歴史を風化させることのないよう努め、火山と共存できる街づくりに貢献できるよう、がんばっていきます」と語った。
◆雲仙・普賢岳の大火砕流 =1991年6月3日午後4時8分に発生。普賢岳の麓の島原市 上木場 地区で警戒に当たっていた消防団員12人と警察官2人のほか、住民6人、火山学者3人、報道関係者16人、タクシー運転手4人が巻き込まれた。
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