ココロブルーに効く話 小山文彦
医療・健康・介護のコラム
【Track14】ライブハウスでの演奏で「荷下ろしうつ」から救われた50歳男性
私を救ってくれたライブハウスのオープンマイク
この笑顔が、私は自分のことのようにうれしく思いました。そして、彼への次なる「処方箋」は音楽に関わることだろうと、私はほぼ確信を持ちました。
なぜなら、実は私にも、似たような「荷下ろし」の経験があったからです。
きっかけは9年ほど前の母親の入院でした。広島に住む父親が日常生活に困り、私を頼って上京したことで、予想もしなかった私夫婦との同居生活が始まりました。私も妻も戸惑い気味ながら、日常的な世話など、できることは夫婦で力を合わせてがんばりました。
2年という限られた間だけでしたが、朝に夕に、私は医師としての仕事以外に、父への「回診」を続け、どうしても夫婦だけの外出は制限されるようになりました。
そんな毎日でしたが、当時勤務していた病院の区民向けのイベントで、久しぶりに人前でピアノを弾き、歌う機会がありました。この時の経験が、高校生の頃から続けてきた楽器と歌を、もう一度楽しみたいなと思うきっかけとなったのです。
やがて、母親が退院したことで、父は広島に帰り、老親の世話はひと区切りつきました。重荷を下ろしたことで、正直、少しほっとしたものの、同時にちょっとした虚脱、放心状態のような心境にもなりました。
そんな私にとって、救いになったのは、病院のイベントで共演した音楽好きの仕事仲間との会話でした。また、彼らの情報から、東京都内にはアマチュアの音楽好きが集まる店(ライブハウス)が何軒もあり、誰でも気楽に人前で歌ったり、演奏したりする「オープンマイク」という場もあることを知りました。ある日、私は勇気を奮って、ある有名店を尋ね、ピアノを弾き、2曲ほど歌ってみました。その店の常連メンバーとも会話が弾み、やがてあるロックシンガーのサポートでピアノとコーラスを務める機会や、自分自身の小さなライブ活動の予定までも組まれるようになりました。診療の他に、研究や論文書きなど、忙しい毎日ではありましたが、その気になれば時間は作れるものでした。以後、若い頃のように作詞作曲にも勤しんで、一昨年には、あるプロデューサーとの出会いもあり、オリジナル作品を世に出したりするようになりました。
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