鶴若麻理「看護師のノートから~倫理の扉をひらく」
医療・健康・介護のコラム
酸素の管が外れパニックに陥ったコロナ患者がナースコール 防護具に時間がかかって…集中治療室の看護師
面会できないが、手術室に向かう廊下で…
コロナ禍で病院の面会制限が厳しくなったことが患者さんや家族に与える影響、家族ケアのあり方などは、 過去のコラム でも、お伝えしてきました。ある看護師が「こんな面会もある」と教えてくれました。
心不全で入院中の70代の患者さん。医療者のPHSで妻や孫と話をしていたが、大きな心臓の手術を控え、看護師には「心細い」と訴えていた。
妻は「何とか手術前に面会できないか」と担当医に要望していたようだが、病院では終末期や小児患者などの特殊な場合を除き、感染予防のため、患者と直接会うことは制限されていた。そこで、考えられたのが、病棟や病室ではなく、患者が手術室に向かう廊下で家族が声をかけられるようにすることだった。患者さんは手術の前処置を病棟で行い、口から管が入って眠った状態だったが、家族が声をかけることはできた。家族は「居ても立ってもいられなかったので、声をかけられただけでも本当にほっとした」と話したという。
私は看護師に質問してみました。「どうしてこのような困難な状況に立ち向かえるのか、その原動力や自分を奮い立たせるものは何か」と。看護師は、アメリカで多くの人が新型コロナ感染症で命を落とし、医療崩壊が起こったことを思い返しながら、「医療者が抱える不安も大きいなかで、この感染症にかかりながらも目の前で回復していく患者さんの存在と、治療方針が手探りの中でも自分たちが行う医療と看護で患者さんを助けることができたこと、そして、それを実行できた医療チームの存在が大きかった」と語ってくれました。
1か月近く意思疎通が困難だった患者
看護師は、重症で人工心肺補助装置ECMO(エクモ)をつけていた患者さんのことも話してくれました。その患者さんはECMOを離脱しても、集中治療室で1か月近く視線が合わず意思疎通が困難な時期があったため、回復しても脳障害が残ってしまうのではないかと心配されていました。しかし、奇跡的に回復して集中治療室から病棟へ移動することができました。たとえ意思疎通ができなくても、患者さんには、体の動き、五感で何かを訴え、生きようとする力があったのです。患者さんが回復し、歩いて家に帰れることを信じて声をかけ続け、呼吸不全に対して毎日リハビリを行い、昼夜のリズムがつくように工夫をし、長期 臥床 による合併症の予防に努めました。その後、患者さんが病棟を歩きながら看護師に声をかけてくれたとき、「自分たちが日々大事だと思って続けてきた実践が間違いではなかった」と思ったそうです。
新しい感染症で、科学的に明らかになっていないことはあったとしても、看護師が実践のよりどころとするものの本質は変わらないことを教えていただきました。(鶴若麻理 聖路加国際大教授)
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