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医療・健康・介護のコラム

[タレント 森尾由美さん](上)中学時代、スカウトの電話に思った「埼玉の人が芸能人になれるの?」

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25歳で結婚、「出産しても仕事を続けたい」と訴え

[タレント 森尾由美さん](上)中学時代、スカウトの電話に思った「埼玉の人が芸能人になれるの?」

――仕事が忙しい25歳の時に結婚、間もなく出産というのは女性アイドルとしては思い切った決断でしたね。アイドルからお母さんタレントへの切り替えに苦労しませんでしたか。

 25歳で主人に出会って、あっという間に結婚の話になってしまいました。事務所の社長に相談したら結婚は大丈夫でしたが、子供の話をすると、「お母さんを扱ったことがないから、うちではできかねる」と言われました。芸能界って夢を売る仕事だから子供はだめなんだ、とこの仕事に疑問が出てきて、主人に相談したんです。

 そうしたら「子供が生まれるのは、とてもおめでたいことだから、それがダメっていうような仕事はこの世にはないよ。子供が生まれて君が幸せだったら絶対いい仕事ができるはずだ」と言ってくれました。その言葉に勇気を得て、社長に「子供が生まれても私は私です。私は変わりませんから大丈夫です」とお願いしました。社長にお願いをしたのはこの一度きりです。それで在籍させていただいて様子をみてくれました。

明るい母親役がはまり役に

――結婚の翌年26歳の時には長女を出産され、その後、元気で明るいお母さん役をたくさん演じてこられたので、ご主人の言葉を証明する形になりましたね。

 出産して間もなく、ベビー用品などの家庭的なお仕事もいただけるようになり、「はやく起きた朝は…」が始まったのも出産1年後です。本当は2人目も続けて産みたいと思いましたが、仕事が忙しくなっていって、下の娘は5歳違いになりました。30代から10年間続いた「大好き!五つ子」シリーズ(TBS系)など、お母さんの役をたくさん演じさせていただいてきました。でも、実際の母親としては、仕事が忙しかったこともあって、子供が生まれてから実家のそばに引っ越して、特に長女は母に任せっきりでした。いつも母を頼ってばかり。私が育てるよりも良かったのか、おかげで本当にいい子に育ちました(笑)。

――それでもアメリカで暮らしていた時は、主婦として子育てをされていたそうですね。

 仕事で日本に来ている時を除けば、アメリカではほとんど外食をしなかったので、主人や娘たちのことを考えて料理をして、娘たちを学校に送り出して、規則正しい生活をしていました。でも、私は若い時から芸能界にいて、ほかの世界を知らないわけです。いわゆる常識というか、人との接し方とか自信を持って娘たちに教えることができないという気持ちがありました。

 反抗期のころなんて、けんかになって、「世間知らずのママに言われたくない」と返されると、私も内心は「確かにそうだ」と思ってしまって……。こんなママなので、反面教師になって、自分で考えて自立することの大切さを私から学んだみたいです。頼れませんからね。長女も次女も大学を卒業して就職しています。

タレント 森尾由美さん

もりお・ゆみ 1966年生まれ、埼玉県草加市育ち。1982年フジテレビ系ドラマ「ねらわれた学園」に出演、83年「お・ね・が・い」で歌手デビュー。日本テレビ系「天才たけしの元気が出るテレビ!!」などバラエティー番組でも活躍してきた。2004年から約10年間、夫の仕事の関係でアメリカ暮らし。00年代のTBS系昼ドラマ「大好き!五つ子」シリーズの母親役は当たり役になった。dTVチャンネル×ひかりTVチャンネルのドラマ「取り立て屋ハニーズ」(配信中)にも出演。2女の母。

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