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[モデル 益若つばささん](下)雑誌の自分と同じ格好の女子が街中にあふれ ネットでのひぼう中傷は「人生分の悪口を言われました」
高校生の頃からカリスマ読者モデルとして女性を中心に絶大な人気を博し、現在はモデル、商品プロデューサーとして「世界で経済効果は1000億円」とも言われる益若つばささん。アラフォーにさしかかって、ファッションへの考え方にも変化があったといいます。読者モデル時代からコロナ下での近況まで、語っていただきました。(聞き手・田村良彦、写真・小倉和徳)
照れ隠しのために、わざと低い声で話していました
――高校生の頃、読者モデルとして同世代の女性の支持を得て爆発的なブームになりました。当時はどんな気持ちだったのですか。
自分では、そんなブームになっているとは知らなかったんです。今みたいにネットの登録者数や「いいね」の数もなく、反応が分かるのはブログのコメントくらいで、それも数がどうという時代ではなかったですから。実感できるのは、ファンの人から頂くお手紙とかイベントの時くらいでしたね。私もファンの方からのお手紙が毎月の楽しみで、返事を全て手書きで返していて、よく指にタコを作っていました。
ショップの店員さんから、「着てくれた服がすごく売れました」とお礼を言われた時には、自分が貢献できた気がして、うれしかったのを覚えています。最初は、私が紹介した服をだれが買ってるんだろうと思っていましたけど、そのうち、雑誌の自分の写真のままの格好をした人を街中でたくさん見かけるようになって、不思議な気持ちと、「なんか面白い」と他人事のような気持ちでした。
――割と冷静に見ていた感じでしょうか。
結構、冷めてたので。今だけだろうなあとか。自分という人間を、どこか遠くから見ている感じでした。そこで浮かれるとか、調子に乗るとかはなかったですね。
――当時の自分を今、振り返るとどうですか。
今よりも、もっととがっていたし、今は発言もだいぶ丸くなったと思います。当時は嫌なものは嫌だとオブラートに包まず話していたので、大人から見たら素直な若者だったと思うんですけど、嫌いな人は嫌いだったと思います。
声も意識的に低くして話していました。当時は、あまり女性っぽくすると嫌われると思ったのと、結構人見知りで恥ずかしがり屋だったので、照れ隠しだったんですけど。低い声のせいで、今よりももっと、怖そうなイメージだったと思います。
ネットでのひぼう中傷 「自分は書く側の人間にはならない」
――爆発的なブームになった一方で、ネットでの 誹謗 中傷もひどかったと聞きます。どうやって対処していたのですか。
最初はびっくりして、本当にショックでした。雑誌に写真が出たときに、ネットの掲示板に自分のスレッドがあるのを読んでしまったんですけど、「死ね」「ブス」「気持ち悪い」とか普通に書いてあって。そのうち、「人生で言われる悪口はもう全部言われた」と思うようになって、あまり気にならなくなりました。
テレビに出るようになってからは、読者の若者にだけでなく、大人の方にもたたかれる機会が増えました。褒めているようでディスっているとか巧妙なので、「これは大人だな」とすぐ気づきました(笑)。
最初は傷つきましたし、その時の感情で言い返して更に荒れてしまうこともありました。でも、自分にも非がある部分を指摘してくださっていたり、その通りだったこともあったり、納得する部分は納得するようになりました。あとは、自分は匿名で誰かを攻撃する側にはならなくてよかったなと、ポジティブに思えるようになりました。
――「自分は書く側の人間にはならない」と。
100個褒められても、一つ心ないことを書かれた時のダメージや、全員が敵に見えて死にたいと感じる気持ちは、過去に経験してわかったから、言葉は本当にナイフだと思うので自分自身も気をつけるようにはなりました。でも、わかっていても知らず知らずのうちに傷つけてしまう言葉ってたくさんあると思うので、私も失敗して学んでいくといった感じです。
ネットで中傷されて悩んでいる方がいたら、「名前も顔も出していない匿名の方に何か言われても、顔も名前も出しているあなたに対して、その言葉はないものと考えて大丈夫だよ」と伝えたいです。SNSを閉じて一歩外へ出れば、優しい世界だったりするので。
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