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幽霊でもいいからと笑い合った…妻の七回忌法要後、初めて息子と話した「ママがいないこと」

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 読売テレビの「夕方の顔」として、ニュース番組のキャスターを務めていた2015年2月、妻・奈緒さん(当時29歳)を乳がんで亡くした清水健さん(44)。長男の出産から4か月後のことだった。2年後に会社を辞め、育児をしながら、自身の経験を語る講演活動を続ける。この春、長男は小学校に入った。奈緒さんの七回忌となった2月、初めてママのことを2人でじっくり語り合った。(河下真也)

幽霊でもいいからと笑い合った…妻の七回忌法要後、初めて息子と話した「ママがいないこと」

清水健さん(宇那木健一撮影)

 コロナ禍の1月下旬、清水さんはオンライン講演会で、画面の向こうにいる人たちに語りかけた。妻の妊娠がわかって1か月 たずにがんが見つかったこと、3人で生きようと決めたこと……。メモは用意しない。時には弱音も吐く。その時話したいことを、ゆっくり丁寧に自分の言葉で伝えていく。

 「自分の感情をぶつけるんです。それが正しい講演会のあり方かはわかりません。でも、その方が伝わるから。情けない自分も含め、ありのままを見てもらいたいんです」

 09年3月、「かんさい情報ネットten!」のキャスターに 抜擢ばってき され、番組スタイリストの奈緒さんに出会った。13年5月に結婚。14年4月、子どもを授かる。だが、同月末、妊婦健診をきっかけに、乳がんが発覚。悪性度が高く、進行も早いタイプだった。

 「医師は治療に専念することを勧めました。でも、妻に迷いはなく、『産みたい』ときっぱりと言いました。生まれてくる子と、妻と僕とで生きていくことを2人で決めました」

 奈緒さんはすぐに乳がんの切除手術を受け、14年10月に長男を出産。しかし、1週間後に腰の痛みを訴える。検査を受けると、がんが全身に転移していた。翌11月、清水さんは医師から奈緒さんの余命が1~2か月だと告げられた。

 「医師の前で泣きました。あれだけ泣いたのは初めて。でも、妻に病状は伝えませんでした。生きようとしている妻には必要ないと思った。家では涙を見せないよう努めました。だけど、妻は自分の体のことをわかっていたと思います」

 12月、家族3人で沖縄を旅行した。ずっと入院していた奈緒さんは「ベビーカーを押したい」とせがんだ。押すというより、もたれかかっているようだった。でも、初めてベビーカーを押せた。翌15年2月11日、死去。闘病中の日記には「今にも壊れそう」「でも、泣き顔は見せられない」と書かれていた。

 「一度も涙を見せなかった。元々、周りを気遣う性格でしたが、僕が泣かせないよう強くさせてしまったのかもしれません。妻が亡くなった時、最初に出た言葉は『ごめんね』でした」

 15年2月初めから番組を休んでいた清水さんは、2月19日に復帰。闘病中の妻に付き添っていたこと、その妻が亡くなったことを報告した。間もなく会社を通じて依頼が届くようになった講演活動も始めた。母親の助けを借りながら長男を育てたが、体重は20キロ落ちた。

 「心がボロボロでした。息子を抱っこしてふらついた時、キャスターを辞める決心をした。キャスターは僕でなくてもできるかもしれない。だけど、父親や講演は僕にしかできない。講演では会場が一緒に涙し、悔しがってくれる。僕も多くの人が悲しみや悩みを抱えて生きていることを知った。僕の中で『語り合う』『共感し合う』ことの重みが大きくなりました」

 17年1月、読売テレビを退社。小中学校や看護学校、保険会社など、講演で年100回以上、全国を飛び回った。コロナ禍で講演は月数回程度に激減し、オンライン開催も増えた。それでも、気持ちに変わりはない。

 「講演を聴いた中学生から、僕のSNSに『死のうと思ったことがあるが、生きていてよかった』とメッセージが届きました。つらい思いをした人たちが前を向けるきっかけとなるなら、伝え続けたい」

 長男の幼稚園の運動会や発表会のとき、育児に悩んだとき。「ママがいたらなあ」と毎日思う。一方で、七回忌法要の後、初めて長男と「ママがいないこと」をゆっくり話した。

 「お風呂に入ったとき、『ちゃんと手を合わせたか』と切り出しました。息子はうなずいた後、『会いたい』と言い、2人で『幽霊でもいいから出てきてほしいよな』と笑い合った。今も部屋の一角に妻の写真を飾っていて、『おはよう』と毎日語りかける。でも、少し気持ちに変化もあって、前は写真を見る度悲しくなったけど、今は妻がいないことを受け止められている自分がいる。時間が前に進んでいる。奈緒も、今の僕と息子を見て、安心してくれているんじゃないかな」

  しみず・けん  堺市生まれ。2001年、読売テレビ放送に入社し、09年からニュース番組のキャスターを務め、17年に退社した。著書に「112日間のママ」「笑顔のママと僕と息子の973日間」。16年には「一般社団法人清水健基金」を設立し、がん治療や患者の支援に携わる団体への寄付も行う。

 

◆取材後記

 テレビ画面の中で冷静に話すキャスター時代とのギャップに驚いた。「めっちゃしんどかったです」「どうやろなぁ」――。取材中も関西弁がぽんぽんと飛び出す。笑ったり、涙目になったり、喜怒哀楽が豊かで、その人間味に かれた。

 奈緒さんを亡くし、悲しみのただ中にいた6年前、講演を聴いてくれた人たちに助けられたという。清水さんの話に涙を流し、「私もがんです」「妻ががんになったんです」と打ち明けてくれた。「自分だけじゃない」と少し心が軽くなったという。

 講演をきっかけに前を向いた人たちを、清水さんは自分のことのようにうれしそうに語った。自ら手放した人気キャスターの地位。「後悔はない」と言い切る。取材中の優しい表情を見て、納得した。

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