なかさとみ「吉本芸人 卵子提供で2人のママに」
医療・健康・介護のコラム
卵子提供は親のエゴなのか? どう生まれたかより、どう育てられるかが大切
答えを持っているのは子供たちだけ
そして何より大切なことは、「卵子提供で生まれた」ことについて、子供が大きくなったときにどのように思うのか。これは、その子供たち以外、誰にも分かりません。答えを持っているのは、卵子提供で生まれてきた子供たちだけなのです。
もし子供が卵子提供で生まれてきたことを否定的に思っていたとしたら、それはその夫婦にとって、卵子提供という選択肢はエゴだったということかもしれません。しかし、卵子提供で生まれたことを子供自身が肯定的に感じていれば、卵子提供を選択したことはエゴではなかったということではないかと私は思っています。
親にできるのは子供の気持ちを丸ごと受け入れること
エゴか、エゴじゃないのかは生まれてきた子供たちが決めるものであり、親や関係のない第三者が決めるべきものではないのです。そして私たち親に唯一できることは、子供がどちらの気持ちになったとしても恐れずに、子供の気持ちを丸ごと受け入れること、これしかできないのです。
このようなことから、エゴか、エゴじゃなかったのかについては、答えが出るまでに長い時間がかかります。なので、まだ答えの出ていない当事者家族に向かって「親のエゴ!」と決めつけてしまうのはやめてほしいなと思います。長い目で見守ってください。
分からない人には分からない。それでいいんです。価値観は様々です。
日本人の場合、自然妊娠にこだわる人がとても多く、中には、何がなんでも自然妊娠でなければいけないと考える人も多いです。これもこれで、考えようによったら「自然妊娠にこだわるエゴ」と言えるかもしれません。
「自然な形=正しい」で遠のく理解
日本人の場合は特に、自己の卵子、自己の精子による自然妊娠を最も自然な形と捉える人が大半です。「自然な形」と思うのはよいのですが、「自然な形=正しい」と捉えてしまうと、同調圧力の強い日本では「自然な形じゃない人は正しくない」という考えが広まっていき、他者から見た「自然な形じゃない人」に対してますます理解が遠のきます。
1億人すべての人に理解してもらうのは、どだい無理な話です。分からない人は必ずいると捉えて、割り切ることも時に必要なことなのかもしれません。また、不妊の問題や介護や病気などは、ある日突然、誰が当事者になっても不思議なことではありません。みんなが当事者目線で考えることは、とても大切なことだと思います。エゴだと言っているあなたや、あなたの身内がある日突然、当事者になることだって十分にあり得るのです。
「考えよう、ある日突然、当事者に」。下手な句を詠んで終わりにしたいと思います。(笑)(なかさとみ)
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精子提供はいいのに何で卵子提供は物議を醸すの? 出産能力と母性だけを根拠に何でも考えるのはよくないんじゃないだろうか? 多様性を尊重する時代に、卵子提供だけ人権がどうのこうのと言うのはうんざりする。子どもを欲しい人が、養子を得ようと、卵子提供で得ようと、精子提供で得ようと、自由でいい気がする。当然、子どもの幸福を第一に考えるべきだが。
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