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[フリーキャスター 駒村多恵さん](下)父の希望通りにアイドル歌手デビューも「ちょっと違う気がする」
NHK「あさイチ」サブキャスターやNHK・BSプレミアム「にっぽん縦断 こころ旅」の朗読などでおなじみの駒村多恵さん。実は、15歳でアイドル歌手デビューし、以来、芸能生活は30年以上になります。本が大好きだったという子ども時代から、現在の仕事にいたるまでの道のりを語ってくれました。(聞き手・藤田勝、撮影・中山博敬)
――サックスも吹ける実力派のアイドル歌手だったということですが、子どものころから歌手になりたかったんですか。
父が、私を芸能界に行かせたかったんです。赤ん坊の私の顔を見て「自分に似ている。芸能界に入れよう!」と思ったらしいです。ちょっと意味がわからないですが(笑)。リズム感を鍛えようと2歳からボンゴをたたかせたり、車の中ではマラカスを持たされて、赤信号のたびに「こうやるんだ」と父がチャッ、チャッと手首のスナップをきかせて手本を見せてくれました。
――お父さんはミュージシャン?
いえ、サラリーマンですが、とにかく私を歌手にしたかったみたいです。私は、それほどなりたいと思わず、本が大好きでした。朝から晩まで読んでいて、目が悪くなることを心配した父から「メガネをかけたら、おまえの顔は二束三文や」なんて注意されたり、歩きながら読んで電信柱にぶつかったり。ついには、母から本を禁止されましたが我慢できず、トイレで読んでいて、見つかりそうになったので「読んでない」って言って窓から投げたら、「嘘をつくな! 本を粗末にしたらあかん!」と二重に怒られました。
そこへ父が、「本を5冊買ってあげるから、ちびっこ歌謡大賞のオーディションを受けないか」って言うので出てみたら、合格してテレビで歌うことになったんです。その時に一緒だったのが、はるな愛さん。当時は大西賢示くんですが、家族ぐるみでワイワイいいながら会場の東京への行き帰りするのがすごく楽しかったです。
――お父さんにうまく誘導されましたね。
最初は嫌々でしたが、そういう番組に出るようになると、友達ができて楽しくなってきたんです。予選を勝ち抜いた子たちが、全国から東京に集結するんです。当時なので文通して、北海道の友達から「今度〇〇のオーディションを受けるから多恵ちゃんも受けて、東京で会おうよ」みたいなお手紙をもらうと、自分でも頑張ろうと思うようになりました。そのうちに賞をもらったり、優勝したりして、スカウトされたという流れです。
――実際、アイドル歌手になってどうでしたか。
当時は歌謡祭が多くて、日本歌謡大賞新人賞などももらい、一生懸命やっていたんですが、堀越高校の同級生からは「多恵ちゃんは性格が芸能界に向いてない」と言われ、事務所の人からは「ハングリー精神がない」と言われて、「確かになんか、ちょっと違う気がするな」と薄々思っていて、結局、3年ぐらいでやめました。所属レコード会社の会社再編もあり、奈良までスカウトに来てくれたスタッフがデビュー1年後には全員いなくなったことも大きかったです。
当時は「アイドル冬の時代」と言われ、ニュース番組の企画でそのテーマを取り上げられ、学校で席がすぐ近くの女の子が主人公として描かれていました。「向いていないし、時代に逆行しているし、このまま私がアイドルを続ける意味があるんだろうか」と思って、大学に進んでアメリカへ短期留学するのを機に、事務所を円満退社しました。
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