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幽体離脱、風呂に入ると鳥肌が…福島の「封じられた苦しみ」に向き合う精神科医の願い #あれから私は
午前だけで、4人の患者が「死にたい」と吐露した日もあった。
その日も、診察室に入ってきた20代の女性がこう切り出した。
「もう無理。これ以上、生きていられない」
東京電力福島第一原発の北約45キロ、福島県相馬市のメンタルクリニックなごみ。精神科医の蟻塚亮二さん(73)の元へ、原発を取り巻く相双地区から患者が集まってくる。
「10年たっても、苦しみが消えたわけじゃない。福島の被災者は、今もぎりぎりで暮らしているんです」
激しいショックや恐怖を感じた後に発症するPTSD(心的外傷後ストレス障害)。その患者と向き合う蟻塚さんは、福島が、これまでに災害に見舞われたどの地域にも増して過酷な状況に置かれていることを肌で感じている。一人ひとりに心の中で「死ぬな」と呼びかける日々だ。
60年以上たって発症
蟻塚さんは、沖縄の病院で働いていた2010年、原因となった出来事から何十年も後にPTSDを発症するケースがあることを発見した。
不眠に悩む数人の高齢者を診察した際、最初はうつ病を疑ったが、昼間は活発に動ける様子なのが不可解だった。米国の論文で読んだ、ナチスのユダヤ人虐殺を生き延びた人のPTSDによく似ていた。
患者たちに沖縄戦の記憶を尋ねてみると、「銃弾が飛び交う中、親に手を引かれて死体を踏みながら逃げた」「妹が撃たれ、はらわたがとび出たまま丸一日うなり続けた後、息絶えた」と、凄惨な体験を語り出したのだ。
これまでうつ病や不眠症と診断されていた高齢の患者を調べ直したところ、沖縄戦のPTSDと考えられる人が続々と見つかった。その数、およそ100人。蟻塚さんは、こうした症例を「遅発性PTSD」と名付けた。
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