文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

ウェルネスとーく

医療・健康・介護のコラム

[女優 中越典子さん](下)上京して2年間も音信不通状態の親不孝 黙って芸能事務所に…父が認めてくれたのは「朝ドラ」の時でした

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

 デビューから20年以上、ドラマや舞台で存在感ある演技を披露し続けている中越典子さんですが、人知れず悩んだこともあったそうです。そんなとき、支えになったのは、子どもの頃の友だちや故郷・佐賀の自然でした。今はコロナ禍で帰ることが難しい故郷への思いを聞きました。(聞き手・梅崎正直、撮影・小倉和徳)

「ここにいてはいけない。東京に行かなければ」

[女優 中越典子さん](下)上京して2年間も音信不通状態の親不孝 黙って芸能事務所に…父が認めてくれたのは「朝ドラ」の時でした

――佐賀市プロモーション大使に任命されるなど、“佐賀愛”にあふれていますね。10代の頃、故郷を離れて東京に来ようと考えたわけは?

 私は末っ子で、すぐ上の姉と8歳離れていたので、すごくかわいがられて育ちました。母は生け花を教えていて、その働く姿を「かっこいい」と思っていましたし、パパっ子で、父とも仲良しでした。それが、思春期になると、理由もないのに反発する気持ちが大きくなってきて、父が勧める地元の大学を目指すこともせず、みんなと一緒にいても、どこか違和感を抱くようになりました。「安全」とか「みんなと同じ」というのが嫌で、「ここにいてはいけない。東京に行かなければ」という気持ちが強くなったんです。

 上京して、ジュエリーについて学ぶ専門学校に入ったんですが、2年間は家族とほとんど音信不通状態。親不孝ですよね。今の事務所に入ったのも、親には黙っていました。結局、バレて怒られて、事務所の社長が親を説得に行くまでに。そのとき父は、「2年間はがまんする」と。

――お父さんが認めてくれたのは?

 23歳の時です。NHK朝の連続テレビ小説『こころ』の主演が決まってからですね。うれしかったようで、それからは、色紙を束で持ってきて「サインしてくれ」なんていうこともありました。「そんなに欲しい人いないよ」って言ったんですけど(笑)。

仕事に悩み…支えてくれたのは故郷だった

――飛び出してきた故郷のことを、いとしいと思うようになったのには、何かきっかけがあったのでしょうか。

 朝ドラの後、いろいろなお芝居の仕事をさせてもらうようになりました。だけど、私はずっと演技を勉強してきて女優になったのではなく、右も左もわからないまま、芸能界に「気合で入った」ようなものでした。現場では「できない自分」を思い知らされ、女優の仕事が「自分にやれるのかな」「自分がやっていていいのかな」と、悩むようになったんです。

 そんなとき、佐賀に帰りました。地元の友だちに会うと、私のことを「ちっとも変わらないね」と言ってくれて、芸能界の華やかな世界に私がいることを喜んでくれたんです。それに、故郷の豊かな自然。好きな巨木があって、見ていると自分がいやされていきました。それからは、故郷が自分の支えになりました。

1 / 2

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

wellnnesstalk1-200

ウェルネスとーく

 あの人が、いつも生き生きしているのはなぜだろう。

 健康、子育て、加齢、介護、生きがい…人生の様々なテーマに向き合っているのは、著名人も同じ。メディアでおなじみの人たちが、元気の秘密について語ります。

ウェルネスとーくの一覧を見る

最新記事