なかさとみ「吉本芸人 卵子提供で2人のママに」
医療・健康・介護のコラム
「なんで似てないの?」 先輩芸人の質問に「卵子提供で…」と答えられず自己嫌悪
みなさま、はじめまして! 吉本で芸人をしております「なかさとみ」と申します。
芸歴は12年目になります。芸人になる前は、19歳から歌手を目指して活動をしていました。芸能界を目指して、今年で50歳になります。31年間、まったく売れずに活動してまいりました。こんな私がコラムを書かせていただくことになりました。
子供を持つことを真剣に考えず、40代に
私は39歳の時に結婚をしました。相手はなんと、12歳も年下の男性でした。交際期間ゼロ日でプロポーズされて、結婚に至りました。当時の私ときたら、頭の中は常に歌や芝居やお笑いのことばかりで、また父親との仲が非常に悪かったことから、子供を持つことについて人生で真剣に考えたことがないまま、40代を迎えてしまいました。
私が真剣に子供を持つことを考えるきっかけになったのは、8年前に子宮 頸 がんの上皮内がんになり、 円錐 手術をしたことがきっかけでした。手術は成功したものの、翌年また細胞異形が再発してしまいました。この時、生まれて初めて「子供を持つこと」について真剣に考えたのでした。
体外受精はすべて不成功 残るは養子縁組か、卵子提供か?
その時、私はすでに43歳になっていました。ネットで不妊治療や43歳での妊娠率を調べて、その成功率の低さにがくぜんとしました。夫とたくさん話し合って、「年齢的にも、すぐに不妊治療を開始しよう!」となり、私は43歳で突然、不妊治療の世界に飛び込みました。
残念ながら、体外受精はすべて陰性に終わり、妊娠できないまま、私は不妊クリニックの医師より「このまま治療を続けても難しい。養子縁組か、卵子提供をおすすめします。うちでの治療は今日で終わりです」と告げられて、自分の卵子での治療が終わりました。
どうしても子供の欲しかった私たち夫婦は話し合いました。養子縁組か? 第三者から卵子をもらって出産する卵子提供なのか? 養子縁組は条件や年齢的に厳しく、断念せざるを得ませんでした。私たち夫婦は、さらに話し合って卵子提供で子供を持つことを選択しました。
この時まで私は、40代になってからの不妊治療の厳しさ、40代になってしまうと他の選択肢すら選ぶことが難しくなるということを知りませんでした。
ネットで卵子提供を仲介するエージェントをたくさん探したり、SNSなどを通じて、同じような境遇の方とつながったりして情報を集めました。そして2017年初冬、長男が誕生しました。
卵子提供で出産 わが子を見て、すべての不安が吹き飛ぶ
妊娠中ずっと不安でしたが、 分娩 台の上で生まれた我が子を見た瞬間、すべての不安が文字通り「吹き飛んで」しまいました。あまりのかわいさに、うわごとのようにずっと「かわいい、かわいい」と言っていたことを記憶しております。
そして会陰切開の傷口を縫ってもらっている間、45歳のおばちゃんがお股を広げたまま、10分以上も分娩台の上で感極まって大号泣していたことは、私の一生のよい思い出となっております。
我が子が生まれてから2日たったある日、私の頭の中に突然、こんなことが浮かんだのです。「血のつながりがあるとかないとかではなく、この遺伝子だから良い、良くない、ということではなく、すべての命は愛されるためにこの世に生まれてくるんだ」というポエムのようなものが、頭の中に浮かんだのです。産まれてまだ2日しかたっていない我が子に、命の尊さを私は教えられたのです。
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