ココロブルーに効く話 小山文彦
医療・健康・介護のコラム
【Track11】体重35キロの拒食症から、女子高生が回復したきっかけとは?―思春期のアンビバレンスへの着眼―
太った母親に対する二通りの思い
「母親は若いころには、とても細くてきれいな人だった、
そして、毎日朝早くから夕方まで仕事をしながら、私と弟を育ててくれている、
だから家では、疲れてるだろうからゴロゴロしててもいいのに。
でも、ゴハンもお菓子もいっぱい食べてて、最近は太ってしまった、
私がそれをすごく嫌がるんだから、かわいそう……」
この時、初めて聴けたリサさんの思いからは、母親のふくよかな姿への嫌悪と、その裏腹にある感謝を感じました。アンビバレンス、そのものです。
私は「そう……。その気持ちは、まだしばらくは(お母さんに)言えないの? それとも言わないの?」と問いかけてみました。
「……今は封印かな、言ったら、自分に負ける気がする……。言えたら楽なのかも、だけど…」
そう話すことで、彼女のアンビバレンスは、他にもどんどん言語化され、浮き彫りになってきました。
- (お母さんが)大好きだけど、ダイキライ
- 大人にはなりたい、でも、あんなふうにはなりたくない
- そんな自分もダイキライだけど、今のままの痩せたコでいたい
- 食べたいけど、太りたくない
いずれも、正反対の思いが心の中に同居していて、両方とも自然な思いなのに、片方に偏ったかのように振舞ってしまう。
そんな状況にある彼女に、どちらかに偏っている思いを、反対側へ意識的に変えようとしても無理でしょう。「嫌いな自分を好きになりましょう」などと、通り一遍なことを言ったところで歯が立ちません。
そもそも、社会のルールに反している以外のことなら、どちらもありのままの思いなのに、どちらかだけに決め込もうとすることは、かえってストレスとなるはずです。
体に対する知識が彼女を変えた
そこで私は、閑話休題といった雰囲気を装いました。
「でも、まあ、どうして今回、入院になっちゃったんだろうね?」と、まるで他人ごとのように(のんきに)私が問いかけると、リサさんは、いつもの目力で、こちらの顔をしっかり見返してきました。
彼女が抱く二通りの思いは、否定されるべきものではありません。むしろ、どちらの思いも「ありのままに許せること」、すなわち、ありのままの自分を認める「セルフコンパッション」へと導きたいと思いました。なおかつ、どうして真逆な思いや本当は望ましくない行動が次々に起きてきたのか?を整理するために、「それから?」「そして?」「どうして?」のような文節をつなぐ問いかけを続けることで、ここまでの経過をともに振り返ってみました。例えば、
どんどん痩せていった~ (それから?)倒れた~ (そして?)入院になった~ (そこでは?)すこし休めた~ (そして)すこし食べられる~ (でも)始終歩いてる~ (どうして?)太りたくないから~ (ほかには?)でも倒れたくもない…
こうしたやりとりの流れから、「痩せたままでもいいから、もう倒れないでいること」を目標として共有しました。そして、倒れないために「体の健康について勉強しない?」と私から提案し、翌日の夕刻から、母親が面会に来た時に、これまでの検査結果を見直し、それを一緒に「復習」していきました。
標準体重や、カロリー、健康習慣、効率のいい運動法などは、母親にとっても新たな知識として歓迎されました。
その後も、検査結果を見ながら、「まだ貧血がよくない、鉄が足りないね。カリウムもギリギリの値」など告げると、リサさんは案外興味を抱くようで、ちょっとした内科学や体の仕組みに関する質問を続けるようになりました。次第に、内容も深まっていきます。
「カリウム値が、これ以上下がったら、どうなるんですか?」
「筋力が下がるから、物がつかめず、倒れてしまう。緊急時は薬で補正できるけど、それではいつまでも患者さんだからね」
「じゃあ普段はどうしたらいい?」
「本物の回復には栄養バランスで整えないとね」等
2 / 3
【関連記事】
※コメントは承認制で、リアルタイムでは掲載されません。
※個人情報は書き込まないでください。