ウェルネスとーく
医療・健康・介護のコラム
[タレント・俳優 芋洗坂係長さん](上)「踊れるデブ」を目指して必死で体重を増やし…メタボサラリーマンキャラで一躍人気者に
黒縁めがねに短いネクタイ、でっぷり突き出たまん丸おなかは、まさにメタボなサラリーマン。ところが、公称105キロの体重からは想像できない軽やかなステップでキレキレのダンスを披露しながら、珍妙な替え歌で爆笑を誘う。そんな、お笑い芸人として人気の芋洗坂係長さん。俳優、小浦一優さん(本名)としても、舞台やドラマで唯一無二の存在感を発揮しています。いったい、あのキャラクターはどうやってできあがったのか、聞きました。(聞き手・田村良彦、撮影・小倉和徳)
トシちゃんのフリをまねして教室で
――出演されているドラマ「その女、ジルバ」(東海テレビ・フジテレビ系)を見ていて思ったのですが、少しお痩せになりましたか。
えっ、いや、そんなことはありません。実は、先日ユーチューブの「芋洗坂BAR」のライブ配信中にも「痩せましたか?」とのコメントがあったので、すぐに体重を量ったんです。そうしたら、104.5キロでした。
――いつものスーツ姿と違ったので錯覚でしたか。それにしても、若い頃は痩せていたんですって?
ダンサーをやっていた20歳くらいの頃は、58キロとか、60キロくらいでした。
――今のほぼ半分ですね。そもそも、ダンサーになろうと思ったきっかけは何だったんですか?
もともと、トシちゃん(田原俊彦さん)のフリをテレビで見て覚えて、教室で踊っているような子どもでした。そこからですね、僕のダンス人生は。
やがて、地元(北九州市)の公園などでダンスを披露するうちに、人前で踊る喜びを覚えるようになって。花見の席で、知らないおじさんたちから「こっちに来て踊れ」と言われ、小遣いやお弁当をもらったこともありました。高校卒業後はプロのダンサーを目指して、ちょうど京都に開校したダンスの専門学校に進みました。
六本木のショーパブで働いていたダンサー時代
――その後、上京された?
はい、踊れる仕事を探して、六本木のショーパブでダンサーとして働いていました。タップダンスもあったし、コミカルなダンスや、ヒョウ柄のスパッツに上半身裸のセクシー系のダンスとか、色々やりましたねえ。今から考えると、その後に有名になった、そうそうたる人たちがいました。
――いつ頃から太り始めたんですか。
21歳の時にショーパブで知り合った相方(田口浩正さん)とテンションというコンビを結成して、お笑いでテレビにも出るようになった頃からです。ショーパブ時代はお金もなかったし、1日に栄養補助食品1箱とりんご1個みたいな食事だったのが、テレビ局に行くとお弁当が用意されていて、余ったお弁当は持ち帰って食べることもありました。飲みにいく機会も増えました。それまでは、レッスンも含めると1日6時間くらい踊っていたのが、体を動かす量が減ったこともあると思います。
――それで、今のような体形に。
いえいえ。相方とのバランスで自分の方は太っちゃダメというのがあったので、何とか太りすぎないように気をつけていました。本格的に太り始めたのは、コンビの活動を休止して一人になった頃に、タレントのウガンダさんに出会ったのがきっかけです。
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