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ココロブルーに効く話 小山文彦

医療・健康・介護のコラム

【Track10】虫歯から顔全体に広がる激痛に。歯科、口腔外科、麻酔科でも治らなかった症状に対して精神科で行ったこと

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痛みが「精神的なもの」と言われても患者は納得できない

 私がこれまでの病歴を尋ねている時も、ユキエさんは顔をしかめて 咀嚼(そしゃく) できないほどの痛みを訴えます。両手で顔を覆い、右、ときに左の頬をてのひらで押さえながら落ち着かない様子です。眉をしかめて、「とにかく早く痛みを何とかしてほしい」と訴えます。

 その様子からは、それまで歯科、口腔外科、麻酔科、そして精神科へと多くの医療機関にかかって、大変な苦労をされてきたことが伝わってきました。そもそも一本の虫歯の痛みだったはずが、口の中全体、そしてあごにまで広がっているにもかかわらず、医師からは「どこも悪くない」と告げられる不本意さも十分に理解できます。

 しかめ面でつらそうなユキエさんに、そんな私の率直な思いをゆっくりと伝えてみました。ユキエさんは、顔を覆っていた両手の隙間から、初めて私の顔を見てくれました。「この若い精神科の医者に何ができるのだろう?」などと思われていないだろうか、と不安になりながら、こう続けました。

 「どこも異常がないと言われても、痛むものは痛みますね。どこかが悪いから痛むのではなく……痛みの 閾値(いきち) が原因だと私は考えています」

 医師が患者に、「意味がわからないだろう」と予測しながら専門用語を使うことは、褒められたものではありません。しかし、これには私なりの意図的な狙いがありました。

 その狙い通りに、ユキエさんから、「痛みの、いきち? それは何ですか?」と返ってきました。

 う歯(虫歯)、炎症、 歯槽痛(しそうつう) 、症候性 疼痛(とうつう) 、心因性疼痛……。それまでユキエさんが聞かされてきた医学用語は、何ら福音をもたらすものではありませんでした。

 あえて私が「痛み方の敏感さ」を表すために「閾値」(痛みを感じるか、感じないかの境目の値)という難しい言葉を使ったのは、ここでリフレーミング(心理的な視点の切り換え)として、痛みの正体を全く新しいものに捉えなおしてほしいという意図があったためです。おそらく今までどの医師からも聞かされたことのない言葉を選んだのもそのためです。

 ちなみに、頭痛でも、腰痛でも、痛みの閾値が問題となるケースは実に多いのです。神経伝達物質のセロトニンやノルアドレナリンのバランスが乱れたことによる現象です。痛む現場に近い脊髄のレベルから伝わった痛みの信号を受けて、今度は脳から現場へと痛みを緩和する信号が下降して届くと、苦痛は和らぐのです(下行性抑制系といいます)。

 そういった、痛みに関わる神経系の働きを説明しないまま、ただ「心因性の痛み」と告げられても、当の患者さんには理解できないでしょう。現実に痛みを感じていて、多くの検査でも原因がわからないことの着地点が、「精神的なもの」とされては、自分自身が納得できず、それに対して前向きになれないのではないかと思います。

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小山 文彦(こやま・ふみひこ)

 東邦大学医療センター産業精神保健職場復帰支援センター長・教授。広島県出身。1991年、徳島大医学部卒。岡山大病院、独立行政法人労働者健康安全機構などを経て、2016年から現職。著書に「ココロブルーと脳ブルー 知っておきたい科学としてのメンタルヘルス」「精神科医の話の聴き方10のセオリー」などがある。19年にはシンガーソング・ライターとしてアルバム「Young At Heart!」を発表した。

 2021年5月には、新型コロナの時代に伝えたいメッセージを込めた 「リンゴの赤」 をリリースした。

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