精子から見た不妊治療
医療・健康・介護のコラム
数十年にわたる「精子を増やす薬」探しは、なぜ失敗したのか
ネズミやウシを使った実験モデルに落とし穴
つぎに、お薬探しがなぜうまくいかないか、考えてみましょう。大学の研究室や製薬会社でお薬の研究をする時、まずネズミを使って動物実験します。ネズミもヒトも哺乳類だから、お薬が同じような効果を示すであろうと考え、ネズミをモデルにしてヒトの病気を研究するのです。これを「病態モデル」といいます。
生殖補助医療における精子関連の技術は、ネズミやウシの研究成果を導入したものです。農学部の研究室では、ネズミを使って顕微授精の研究をします。精巣上体に針を刺して、にじみ出た液に含まれる精子を使います。選別などはしませんが、実によく妊娠します。また、世界中で生まれる子ウシのほぼ100%は、凍結保存した種オスの精液を使った人工授精です。1回の授精で半数くらいの雌ウシは妊娠します。ネズミやウシの種オスは、造精機能障害のヒトとは最も遠い存在です。
精巣毒性の研究では、ネズミの実験は、造精機能に充分な余力があるヒトへの影響を推し量る「病態モデル」になります。余力がない方は、毒性物質に対する抵抗力が低いと想像されますが、動物実験で確かめることはできません。ヒトの造精機能障害の病態は極めて多様ですが、それぞれの病態に対応したネズミはいません。話をまとめますと、ネズミやウシを「病態モデル」にしてヒトの造精機能障害を研究したことが落とし穴だったのです。
「ヒトでしか研究できない」が薬開発を困難に
もう一つ、生殖補助医療が、その夫婦の実子を得ることを目的として行われるのに対して、ネズミやウシでは個々のオスの造精機能障害は、治療の対象ではありません。「ヒトでしか研究できない」そして「ヒトにしか使い道がない」、これが造精機能障害の治療薬や治療法の開発を困難なものにしています。
この話には後日談があります。研究チームの兼子が当時、精子染色体研究のトップランナーであった旭川医科大学の生物学教室を訪ねた時のことです。「精子は怖いよー、卵に侵入した運動精子であっても、体の細胞と比べて染色体異常率が非常に高い」という、人生を変える一言と出会ったのです。
当時、造精機能障害がひどくなると、なぜ精子の形態が際限なく崩れていくのか不明でした。この一言により、点と点がつながったのです。「そうか、造精機能障害の裏には遺伝子の問題が潜んでおり、精子の機能や形態の異常に個人差が大きいのは、問題が起きた遺伝子の組み合わせが様々だからだ」、と気がついたのです。この言葉が、その後の研究の出発点になりました。
残念ですが、設計図(遺伝子)に問題がある造精機能障害が、お薬やサプリメントで改善する可能性は低いと言わざるを得ません。私たちは、精子を増やすお薬を探すのをやめました。研究は、精液から精子を選別し、精密検査で精子の「質」を調べる、そして精子の凍結保存(精子の貯金)へと、大きくかじを切ることになったのです。(東京歯科大学市川総合病院・精子研究チーム)
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