町田忍の昭和回想
回想サロン
石炭を くべただるまが 熱すぎる
昭和は遠くなりにけり--。銭湯や手描き看板をカメラにおさめ、お菓子のパッケージを収集するなど、庶民の暮らしを見つめてきた町田忍さんが、懐かしいあれこれをイラストにして回想します。みなさんも古いアルバムや本、新聞を引っ張り出し、町田さんのイラストと合わせて、昔を振り返ってみてはいかがでしょうか。 |
石炭ストーブ


さすがに今は石炭ストーブを使用している学校はないと思うが、かつて多くの学校では石炭やコークスのストーブが活躍していた。教室の中心付近に、だるま型ストーブが置かれ、そこから長い煙突が外まで伸びていた。
温度の調節が難しく、暖かくなりすぎるのが難点だった。熱くなるとストーブが真っ赤になり、周りにいる生徒の顔も暑くて真っ赤になった。ストーブの上の網にアルマイト製のお弁当箱をのせて温めたこともあった。ストーブの担当は日直の仕事。校庭の隅っこにある石炭置き場から、黒いバケツに目いっぱい石炭を入れて、教室に運んできた。
自宅では火鉢と鉄瓶を使っていた。いま暖房器具といえば電気やガス。昔使っていた暖房器具は姿を消し、すっかり様変わりしてしまった。
真っ赤なダルマ
森のくま
小学校4年まで、冬になると当番が早朝に2人がかりで石炭を運んで火をつけて、教室が温まるのを待っていました。小学校5年の時に石炭からコークスに変わ...
小学校4年まで、冬になると当番が早朝に2人がかりで石炭を運んで火をつけて、教室が温まるのを待っていました。小学校5年の時に石炭からコークスに変わり、違いがわからなかった私たちは石炭と同じようにコークスをストーブに。そうしたら、くべ過ぎになってしまい、だるまストーブが真っ赤っかに。先生が慌ててきて、怒っていたはずなのだけれど、覚えているのは真っ赤になったストーブとそれを囲んだ友達の顔ばかり。懐かしいストーブですね。
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