【1】ギャンブルの沼 5 闇カジノの誘惑とワナ
シリーズ「依存症ニッポン」
闇カジノの誘惑とワナ(下) 再び「バカラ」の闇に。膨らむ借金、そして逮捕へ
ストレスで、再び闇カジノに
サラリーマン生活を始めてから1年2か月が過ぎた。元来の要領の良さで仕事にも慣れ、先輩にも負けない手際も身に付けていた。規則正しい毎日は、ストレスへと姿を変え、じわじわとタイガの心を侵食していた。
転勤する上司の送別会が、大阪・ミナミの飲み屋で開かれた日のこと。宴席がお開きになり、帰宅しようと宗右衛門町を歩いていたら、知っている顔から声をかけられた。
「お久しぶりです。どうしてたんスか?」
かつて、タイガが出入りしていた闇カジノのボーイだった。楽しかった「あの頃」の記憶が瞬時によみがえった。
ボーイから「たまには、寄ってくださいよ」と言われて断れるほど、社会人としての自覚は育っていなかったし、人間的にも成熟していなかった。誘われるまま、闇カジノに入店し、かつてのようにバカラのテーブルに着いた。
久しぶりのギャンブルは楽しかった。単調で退屈な毎日を、どこか遠くに吹き飛ばしてくれるようだった。
結局、この晩だけで15万円ほど負けた。「まあ、久々やし、こんなもんかな」と割り切ったつもりだった。ところが、自宅に帰っても、バカラのテーブルで味わった期待と不安、歓喜と失望が交錯する興奮は抜けていなかった。
また行きたい。カードを絞りたい。ヒリヒリするような勝負をしたい。
じりじりしながら週末を待って、再び宗右衛門町のカジノに出向いた。翌週も、そしてその翌週も。学生時代の仲間を誘って、さらに翌週も行った。
朝早くから夜遅くまで仕事が続く平日は、闇カジノどころではない。サラリーマンの宿命が、ギャンブルへの飢えと渇きを一層あおっていた。

もっともテンションが上がるのは、闇カジノ店に向かっている途中だ。雑居ビルのエレベーターを降り、怪しげなドアを開けた瞬間、高揚感は最高潮になる。
「とにかく、店に向かっているときの『やるぞ!』という気持ちはすごかったです。が、実際にギャンブルが始まってしまうと、正常な理性が吹っ飛んで、楽しいのかどうかなんかわからなくなっていました」
ギャンブルだから、勝つことも負けることもある。結果はどうでもよかった。とにかく勝負をしたかった。
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15年以上前に闇カジノで働いていました。いろいろなお客さんがいました。サラリーマンだったり、会社経営者や水商売に風俗。場所柄、外国人(アジア人)は多かった。6割は外国人。日本人で整備工場を経営していた感じのいいお客さんは、バカラにのめり込み過ぎて、結局、会社のお金も使い込み、自殺してしまいました。当時そういう人は結構多かった。あのお客さん、自殺したねって。死ななければならないくらいにまで追いつめられる前にやめられてよかったね。バカラは、ハマるとどうしようもなくなるサイアクなギャンブルだ。
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