【1】ギャンブルの沼 5 闇カジノの誘惑とワナ
シリーズ「依存症ニッポン」
闇カジノの誘惑とワナ(中) 都会のいたるところに違法ギャンブルが
「スカウト」のバイトで、また「あぶく銭」を

大阪ミナミは「スカウト」の仕事場だった
これといったビジョンもないまま、なんとなく通い始めた大学だったが、意外とおもしろい人間が集まっていた。飲み会ばかりをやっているような遊び人のサークルに所属して、ふわふわと毎日を過ごしていた。パチスロで稼いだ金はたくさんある。同級生に「舎弟分」を作ったおかげで、授業の出席日数もリポートの提出も心配なかった。
1年生の秋になり、サークルで知り合った友人に、水商売の「スカウト」のバイトを紹介された。ミナミの繁華街などで、道行く女の子に声をかけて、キャバクラや風俗店などに紹介し、「スカウトバック」(紹介料)を受け取る。まったくの素人に声をかけるだけではなく、どこかの店で働いている女の子から話を聞き、不満があるようなら、もっと条件のいい別の店へと斡旋する「ヘッドハンター」の役割が大きかった。
現在は、自治体の迷惑防止条例などで、街頭でのスカウト行為は規制されるようになってはいるが、当時の繁華街のあちこちでは、彼らが 跳梁跋扈 する姿が必ず見られた。
タイガ自身、女の子受けするルックスに恵まれ、しゃべりもうまい。おもしろいように成果を上げた。風俗店に体験入店させた女の子がしばらく出勤すれば、紹介先からまとまった金が転がり込んでくる。「割のいいコンサル(タント)みたいなもんでしたよ」と回想するように、100万円、200万円を稼ぎ出す月もあった。
ちょうどそのころ、パチスロには変革期が来ていた。「射幸性が高すぎる」と批判の対象にされた4号機が規制され、後継機として導入された5号機は、出玉の爆発力に欠けたことで、タイガにとって「まったく稼げない」機種になっていた。だが、金のために、長い時間、騒々しいくせに無機質なマシンにしがみつく必要などもうない。
2000年代前半。遠い過去となっていた「バブル」が産み落としたモンスター「デフレ」は、まだまだ不死身の姿で、日本経済を食い散らかしていた。就職を控えた大学の先輩たちは、「超氷河期」にぶち当たり、文字通り、身が凍り付くような日々を送っていた。
タイガにとっては、そんな時代もどこ吹く風。スカウトのバイトには、ゲームのような興奮があり、金に不自由することもなかった。
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