ウェルネスとーく
医療・健康・介護のコラム
[歌手・女優 小柳ルミ子さん](上)コロナで仕事なく、「引退」表明 翻意させた奇跡的な出来事とは…
芸能界に居場所がない 引退を決意した68歳の誕生日
――7月2日、68歳の誕生日のブログを読みました。「もう~この業界に私のポジションは無いと感じている」とか、かなり思い詰めた様子の文章がアップされていました。当時の気持ちを振り返っていただけますか。
もう、最悪の精神状態でした。世の中がコロナで大変なことは、百も承知です。でも、コロナの中であっても必要とされて、テレビやラジオ、雑誌に出ている人がいるわけです。ということは、私は、この芸能界に必要とされていないんだな、私のポジションはもうなくなったんだな、と思いました。
だれのせいでもなくて、自分に力がないんだと自分を責めていたというか。自信も失い、自分がこれからどういう活動をしていったらいいのか、見失い、じわじわと真綿でクビをしめられるような状態で、「ああもう、引退しかないな」となったんです。
戦友だった志村けんさんの死
――3月の志村けんさんの死去には、日本中がショックを受けましたが、特に小柳さんは親しくしていらしたこともあって……。
けんちゃん(志村さん)は、私のデビュー当時の小柳ルミ子ショーの前座をやっていたんです。ザ・ドリフターズのメンバーに入る前の坊や(付き人)時代から知っているので、戦友、親友、きょうだいです。
ああ見えてもすごくデリケートで繊細な方なので、私の方が励ますこともあったし、公私にわたって親しくしていたので、さすがにショックでした。
――志村さんのことや、いろんなことが積み重なって。
そうですね。自信とか、モチベーションとか目標とか、そういうものがあるから、いつも頑張れているんです。目標も希望もモチベーションも自信も無くなったら、人前に立てないですよね。そんなお粗末な芸を見せられないですから。
――4月25日はデビュー50周年記念日でした。
もともと、そこに合わせて、新曲の発売やライブステージを計画していたのが、全部駄目になってしまいました。だから、「もう新曲も出していただかなくて結構です」って事務所に言いました。歌う自信もないし、機会もないし。
悔しいですけどね。白旗揚げるのは。ただ、現実をちゃんと見据えると、「私は必要とされてないんだな」と、その時は感じていました。
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