アラサー目前! 自閉症の息子と父の備忘録 梅崎正直
医療・健康・介護のコラム
「生まれちゃったのね」と言われた通夜の席
社会との「距離」の違い
障害のある人への関わりという点では、地域差があるのも事実だ。このコラムでも触れたが、僕らが神奈川から千葉の郡部へと転居した24年前、神奈川の医師から「引っ越した先には何もありませんよ」と警告された。このことを話すと、今、千葉で障害者支援に携わっている人は反発するのだが、実際、洋介が小さかった頃は、心理相談一つ受けるのにもいくつもの市境をまたいで行かなければならず、公立幼稚園では園長に「身の回りのことを自分でできない子は、来てもらっては困る」と言われるくらいだった。住んでいた自治体のなかに特別学級(今の特別支援学級)が一つも存在しなかったことも以前書いた。
保護者たちにとって、最後で最大の課題となる「終のすみか」については、グループホームの新設のめどが立たず、入居を希望して待つ人は増えている。家族から遠く離れた大規模施設に入所する人もいれば、高齢の両親が自宅で世話を続けているケースも珍しくはない。もっとも、それはこの地域に限ったことではないだろう。
そうした環境は北九州の一角でも大差ないようで、父の葬儀を執り行ったご住職に発達障害のお孫さんがいたが、その後、適切な施設が自宅から通所できる範囲にないため、遠方の寄宿舎に入ったということだった。
障害を、ただ個人に降りかかった困難としてとらえるのか、それとも社会の課題と理解するのか。それは、地域社会との「距離」に表れるのだと思う。
一人暮らしになった祖母は…
父の死後、一人暮らしをしていた母も、4年前に他界した。実家の処分で遺品整理をしていると、小倉で開催された自閉症の人たちによる作品展などに、母が一人で出かけていたことを示すものが複数見つかった。父の介護が終わった後、70代になった母は母なりに、洋介の実像を知って、障害を理解しようとしていたのだと知り、胸が熱くなった。(梅崎正直 ヨミドクター編集長)
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