リングドクター・富家孝の「死を想え」
医療・健康・介護のコラム
「迷惑をかけたくない」という日本人の死に方……藤木孝さん80歳の自殺に思う
最期への重要な思いは「迷惑をかけたくない」
「迷惑をかけたくない」。高齢になって死を意識するようになると、決まってこの言葉を聞きます。実は私も、そう思っています。延命だけの終末期医療は、人間の尊厳を損なうので拒否するのはもちろんですが、その理由として、「家族や周囲に迷惑をかけたくない」という気持ちが強くあります。
高齢者の自殺といえば、もうお一人を思い出します。2011年に自宅マンションから飛び降り自殺した音楽評論家の中村とうよう氏(享年79)です。彼が主宰した雑誌「ミュージック・マガジン」の遺稿には、年を取って他人の世話にはなりたくない旨が述べられ、最後に「もう思い残すことはありません」と書かれていました。
脚本家・橋田壽賀子氏は95歳を超えてもなおご健在ですが、著書『安楽死で死なせて下さい』(文春新書)のなかで、こう述べています。
「人に迷惑をかける前に死にたいと思ったら、安楽死しかありません」
尊厳死は、死も自己決定権に含めた考え
このように見てくると、日本人の死生観を決定づけているのは、「迷惑をかけたくない」という思いではないかと、私は思います。これは、欧米の死生観とは大きく違っています。
欧米では、なによりも尊厳死が尊重され、スイスなど一部の国で安楽死が認められているのは、あくまで「死ぬ権利」としてです。死をも自己決定権に含むという考え方で、日本のような「迷惑をかけたくないから死ぬ」という考え方は、ほとんど聞きません。
家族任せだった介護を社会で受け止めようという狙いで、介護保険制度が始まったのは2000年のことです。介護をプロの介護サービスに任せることで家族の負担を軽減し、本人が「世話になって迷惑をかける」という思いを持たなくてすむようにする仕組みでもあります。とは言え、個人の価値観はそれぞれです。
終末期にどうするかを話し合っておきたい
問題はその後にあります。何も意思表示をしないと、今の日本では、病院や施設で延命治療が行われます。そのこともあって、日本は寝たきり老人が飛び抜けて多い国です。一方で、内閣府の平成29年版高齢社会白書を見ると、65歳以上で「延命のみを目的とした医療は行わず、自然にまかせてほしい」と回答した人は9割を超えています。
「迷惑をかけたくない」と自裁するのは、極端な選択ですが、延命のみを目的にした延命治療によって、本人の苦痛が長引き、家族や周囲の精神的、肉体的な負担が増すのは、だれも望んでいないことです。80歳の自殺を聞いて、私が思うのは、終末期にどうするか、家族とも話し合っておくのが大切だということです。(富家孝 医師)
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鬱病で苦しむ人、経済的な問題に悩んでいる人、高齢でも大学病院のベッドで治療を家族に受けさせられている人を見てきましたが、自殺を殺人でもするような意味で制止しようとする人の想像力の欠如に悲しくなります。人様に迷惑をかけたくないと、高齢者でなくても障害者だったり難病患者だったりすれば思います。安楽死を認めていない日本は人権についての後進国だと思います。わたしは慢性的な痛みに苦しんでいて、死ぬまで治らないと医師から宣告されています。自殺をして家族の迷惑になることもあるので、ぜひ安楽死を認めてほしいと思います。生まれる時は自分で選ぶことができませんが、今までの人生を振り返って感謝しながら死んでいく自由もあってよいと私は思います。
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