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森本昌宏「痛みの医学事典」

医療・健康・介護のコラム

ベトナム戦争で重傷の米兵ほど痛みが少なかった理由

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 古代ギリシャの哲学者・アリストテレスは、「動物部分論」の中で、「知覚の波が血管に沿って心臓に伝わる。その波があまりに激しい時、痛いという情緒が生まれる」と記している。痛みを情緒として捉えて、“五感”には含めなかったのだ。痛みを“快”の対極にある“情動”のひとつと考えていたからである。

 その後、20世紀に入ってからも、「痛みは感覚なのか、情動なのか」についての論争は続いていた。しかし、痛み情報が 末梢(まっしょう) 神経の感覚線維から脊髄を通って脳に伝えられていることが解明されて以降は、五感のひとつとして扱われている。

「ランナーズハイ」のメカニズム

ベトナム戦争で重傷の米兵ほど痛みが少なかった理由

 しかし、このアリストテレスによる“痛みは情動”との考え方は、あながち間違いとは言えない側面もある。

 情動とは、喜びや悲しみなどの本能的な感情、人に特有な憎しみや尊敬といった感情によって生じる体や表情、行動の変化を合わせたものを示している。日本語では、「はらわたが煮えくりかえる思い」「断腸の思い」など、情動と痛みを絡めて表現することがある。これらが示すように、痛みとは、情動を巻き込んでしまう厄介な感覚であると言えるからだ。

 そして、痛みの強さに影響を与える因子には、心理状態、気持ちの持ち方などさまざまなものがある。たとえば、慢性痛を抱えておられる方でも、仕事や趣味に熱中されている時には、痛みが軽くなることを経験されるだろう。

 長距離ランナーなどでみられる“ランナーズハイ”も熱中による苦痛の軽減の一つである。ランナーズハイ、このウキウキとした陶酔感は、スポーツによってモルヒネに似た物質が体内で分泌されることで出現する。1970年代、モルヒネに特異的に結合する受容体(受け皿)が脳のなかにあること、次いで、この受容体に結合する物質が体内にも存在することが発見された。この物質こそが内因性モルヒネ様物質(エンドルフィンなど)であり、痛みの伝達に関わっている受容体に結合して苦痛の軽減する作用を発揮するのだ。

 この受容体は、大脳辺縁系(感情や記憶に関係する脳の部位)や視床下部(ホルモンの調節を行っている部位)などにも存在する。スポーツをしたり、何かに熱中したりしている時に内因性モルヒネ様物質が分泌されて鎮痛効果を発揮し、さらには大脳辺縁系への好影響によって気分の高揚をもたらすのである。

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森本 昌宏(もりもと・まさひろ)

 大阪なんばクリニック本部長・痛みの治療センター長。
 1989年、大阪医科大学大学院修了。医学博士。同大学講師などを経て、2010年、近畿大学医学部麻酔科教授。19年4月から現職。日本ペインクリニック学会専門医、名誉会員。日本東洋医学会指導医。著書に『ペインクリニックと東洋医学』『痛いところに手が届く本』ほか多数。現在、大阪市北区の祐斎堂森本クリニックでも診療中。

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