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『回想のすすめ 豊潤な記憶の海へ』 五木寛之著
直木賞作家で、長編小説「青春の門」「親鸞」などで広く知られる五木寛之さんが、「回想のすすめ 豊潤な記憶の海へ」(中公新書ラクレ)=写真=を刊行しました。
日本で高齢化社会が進み、認知症の問題などネガティブな側面がクローズアップされるなかで、五木さんは、「齢を重ねた人ほど自分の頭の中に無尽蔵の資産があり、その資産をもとに無限の空想、回想の荒野のなかに身を浸すことができる」と記し、若き日や幸せだった時期を回想することが、自らの人生を彩り豊かなものにするのではないか、と問いかけています。
五木さんは本の冒頭で、コロナ禍の中で高齢者が外出しなくなり、心身のフレイル(虚弱)が問題化していることを取り上げ、積極的な行為としての「回想」を勧め、自分自身の体験を振り返るだけでなく、中世ヨーロッパのペストの大流行、第一次世界大戦時のスペイン風邪といった過去の知識を呼び覚ますことの重要性を指摘します。
そういう社会的な広がりのある回想体験が、日々の生活の中に必要とされ、「回想の力」によって人間は支えられると力説します。
もちろん、個人的な回想も力になります。「辛かった時代のことを思い出すのはすこしも辛くない。今はすでにそこをくぐり抜けてきているから」と、前向きにとらえ、過去の記憶の中からうれしかったこと、幸せだった瞬間のことを回想している、と自らの日々の実践を披露。過去の思い出を掘り出し、それを実感しなければ、記憶は錆びついてしまう、と警鐘を鳴らします。そして、「未来だけが人生ではない。過去もまた自分の人生だ」と、読者を励ましています。
別の章では、五木さんが自らの人生で出会ってきた数々の世界的な有名人との交流エピソードを惜しげもなく書き記します。ロック歌手のミック・ジャガーとは、ロシア・アバンギャルドをモチーフにした舞台セットについて話が盛り上がり、予定時間が過ぎても意気投合して芸術論に花を咲かせた逸話が興味をそそります。
ほかにも、キース・リチャーズ、ボクシングチャンピオンのモハメド・アリ、作家のヘンリー・ミラー、フランソワーズ・サガン、ロシアの歌手のブラート・オクジャワら海外の著名人のほか、日本人作家の川端康成、阿佐田哲也との交流の記憶も読みごたえがあります。
そして最終章では、加齢に伴う不安としての頭脳の衰えについて、「私も六十歳を過ぎた頃から、電子辞書のお世話になる回数が異常に増えた」と吐露し、「問題はボケない工夫ではあるまい。そうではなく、良くボケることが大事なのではあるまいか」と問題提起し、記憶はコンピュータなどでの検索に任せ、「世間に和らぎをあたえ、他人に迷惑をかけないようにボケる」ことを目指していると記します。そして、日本社会そのものも、「ボケた人間を排除しない共生社会」であるべきだ、と結論付けます。
五木さんは、本書の中で、繰り返し「回想」の重要さを強調していますが、それは決して認知症に抗うための手段ではなく、日本社会で進行する超高齢化社会の中で賢く生きるための目的、であることが分かります。高齢者の方だけでなく、広く人間理解を深めたい人々に読まれるべき一冊でしょう。
(中央公論新社、税抜き820円)
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