【1】ギャンブルの沼 4 共依存の家族が陥るワナ
シリーズ「依存症ニッポン」
共依存の家族が陥るワナ(上) 貯蓄も株券もすべてギャンブル資金に。妻がとった行動は

別居中だった夫が、自宅に戻ってきた。皮肉なことに、きっかけは彼女自身に病気が見つかったことだった。
千葉県に住むK子さん、60歳。2014年に、勤め先の健康診断で乳がんを指摘された。病院で再検査した結果、ステージ2Bの進行性で、リンパ節への転移も認められた。驚愕と恐怖、何よりも無念さに押しつぶされそうだった。
このまま死ぬのは嫌だ。
「長い間、ずっと我慢を重ねてきた。いつかは報われると信じていたのに、そんな日は来なかった。なんだったんだろう、私の人生……」
パチンコ好きな大学生と結婚して……
K子さんが2歳年下の夫と結婚したのは1985年。大学を卒業した彼が、関西の金融関係の会社に就職した翌年だった。初任地の山口県で新生活をスタートさせた。
学生のころから、彼はパチンコ好きだった。デート中にパチンコ店へ連れて行かれたこともしばしば。手元から弾かれていく球の行方に一喜一憂している彼の隣に座っていても、自分には何がおもしろいのかまったく理解できない。負けが込んで、すっかりお金を使い果たしても、「やられちゃったよ!」と彼はあっけらかんとしていた。
当時の収入は、親からの仕送りとアルバイト。ときには生活費がショートしてしまい、親や友人から借金をすることもあった。それでも、大きな支障はなかった。
まだ、学生だったのだ。
「こういう人なんだ、と思っていました。今にして思えば、この段階でギャンブル依存の芽が吹き出していたように思います」
卒業後、彼が社会に出るのを待ち、2人が結婚したころ、日本はバブルに向かってアクセルを踏み込んでいた。80年代のちょうど真ん中。先進5か国が協調してドル安へと誘導した「プラザ合意」により、急激な円高が進んだものの、日本経済はその荒波を短期間で乗り越えた。その結果として始まった景気過熱に合わせるように、夫の帰宅も毎晩のように深夜になった。酒の匂いをさせていることもしょっちゅうだった。
学生時代にあれほど好きだったパチンコを、家庭を持った後も続けているのかはわからなかったし、妻として干渉もしなかった。当時、夫の小遣いは5万円程度で、足りないと言われれば、その都度、補充した。
ごく普通の若い夫婦。86年には長男、88年には次男を授かった。夫の様子に変化が見られるようになったのは、2人目が生まれたころだった。
お金の無心をされる回数が増えていった。「後輩に金を貸した」「香典を出す」……。その都度、言われた額を黙って渡した。だが、夫の関心は、明らかに家族とは別のところに向いているように感じた。妻である自分のことも、生まれたばかりの2人目の子どものことも、ちゃんと見ていない。
K子さんの心の中で、「ぼんやりとした不信」が大きくなっていった。
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