町田忍の昭和回想
回想サロン
屋上へ 10円握って まっしぐら
昭和は遠くなりにけり--。銭湯や手描き看板をカメラにおさめ、お菓子のパッケージを収集するなど、庶民の暮らしを見つめてきた町田忍さんが、懐かしいあれこれをイラストにして回想します。みなさんも古いアルバムや本、新聞を引っ張り出し、町田さんのイラストと合わせて、昔を振り返ってみてはいかがでしょうか。 |
デパート屋上の木馬
かつて、デパート屋上の遊園地は子供たちでにぎわっており、いろいろな遊具があった。なかでも「木馬」は定番として人気があった。仕組みは簡単なものであるが、あのモーター音とともに上下に動く乗り心地は、子供にとってうれしい体験だった。
年に2回、ボーナスが出ると、家族でおめかしをして渋谷のデパートに行った。母は着物、自分は七五三のときに着たブレザーに革靴。買い物のあと、大食堂でグラタンとチョコレートパフェを食べて、屋上に出た。決まって、行きは電車、帰りはタクシー。当時、タクシーの初乗りは60円か70円だった。
最近のデパートの多くが屋上の遊園地を廃止してしまっている。少子化やテーマパークの出現が関係しているようだが、屋上で木馬に乗ったときの感激は忘れられない。
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町田忍
デパートの大食堂も、今は限られたところにしか残っていないのが残念です。
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大食堂でご馳走を
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私は昭和40年代前半に、小学生時代を送りましたが、住んでいた地方都市でも、デパートは子供にとっては娯楽の殿堂でした。当時はどのデパートも、最上階に大食堂があり、いつも家族連れで賑わっていました。町田さんのお気に入りはグラタンとチョコパフェだったようですが、私はカツ丼に決めていました。当時は外食産業もさほど多くなく、カツ丼はウチでは食べられないご馳走でした。両親にいろいろなデパートに連れ行ってもらいましたが、いつもカツ丼だったので、しまいには「○○デパートが一番だ。」と、いっぱしのカツ丼評論家になりました。当時は外食は、家族にとって特別の行事でした。家族四人でテーブルを囲む若かりし頃の父の笑顔を思い出します。その父も五年前に他界し、今では私にも孫が出来ました。孫も一緒に親子三代で外食することも増えました。大人になっても覚えているかな?家族みんなで食事ができることは、本当に有難いこと。だから私もいつも笑顔です。父もきっと同じ気持ちだったんだろうな。
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