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ピック病(認知症)介護『父と私の事件簿』

医療・健康・介護のコラム

[コロナ編]認知症の父を襲ったコロナ禍の「入れ歯問題」 2か月半の苦闘の結末は…

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 「高齢者の場合、新しい入れ歯を作っても、口のほうが、もう合わせられないことがあるんだよね」

 父の入れ歯をかけていた歯が取れて以来、応急処置を経て、新たな入れ歯作りを頼んだ近所の歯科医から言われた言葉が、実際に新しい入れ歯が来てから、ボディーブローのように効いている。新たな入れ歯ができるまでは、長年使い、口内の現状に合わなくなった古い入れ歯を、日々歯科医の先生が調整することで、なんとか食べられていた。が、途中、ひどいむせこみと 嘔吐(おうと) があった時期に、 嚥下(えんげ) 障害の専門外来に行くことになり、そこでさまざまな検査を経ての見立てが「飲み込む力はそこそこあるが、きちんとかめていないため嚥下障害が起きやすい」。そして、「歯茎の下に埋没している多くの歯の根を取り除かないと、結局、歯茎が痛くてきちんとかめるようにならない」ということである。

 しかし、根っこの数は12本。高齢者外来で対処するから大丈夫と言われたが、84歳の父にとって、これを抜くのは大変な負担になるように思い、私的には混乱。「とりあえず、新しい入れ歯が合うかどうかを見て、判断させてください」と、対応を保留にしていた。

「お父さん思いだね」と言われたが

認知症の父を襲ったコロナ禍の「入れ歯問題」 2か月半の苦闘の結末は… 「高齢者の場合、新しい入れ歯を作っても、口のほうが、もう合わせられないことがあるんだよね」

 そういう期待がかかった新しい入れ歯が、近所の歯科医院でできてきた。冒頭の言葉の主である歯科医が、丁寧に調整してくれるが、父には案の定、なかなか合わない。入れ歯の調整のために、再び日々歯科に通うことになった。

 緊急事態宣言中のこと。こんな時になぜ、毎日通院することになるのだろう。「お父さん思いだね」と言われたが、私が面倒でも日々通院に同行したのは、そういう理由ではない。ピック病の父は、「待つこと」ができないので、もし私が連れていかなければ、知らないうちに一人で家を出て、歩いては行けない場所の歯科医にたどりつけず迷子になるか、あるいは転倒してえらいことになるか……。いずれにせよ、何かが起きた時、本当に面倒なことになるのは私なのだ。それが身に染みているから、大事を防ぐための小事の解決は、自分のためにやっている。

古い入れ歯のリフレッシュで

 当初、新しい入れ歯は口に入れていること自体がダメで、父はすぐに、古い入れ歯につけかえてしまう。「ここがあたって痛い」など、父の訴えに基づいた日々の調整で、ようやく口の中にとどめておけるようになったが、食べる時は全然だめだ。というより、一口かむと、洗面所に駆け込み、古い入れ歯に替えてしまうのだ。

 「痛くても、あっちこっちでかんで試さないと、どこが痛いかもわからないから、先生だって調整に困るし、いつまでたっても合わないよ」と言うと、その時は「うん」と答えるのだが、食事になるとやはり一瞬で洗面所に駆け込む。認知症だからそのあたりが難しいのか、1週間たっても2週間たっても新しい入れ歯は合わない。「これじゃきりがない」と、父に切れ気味になってきた私に先生が言った。「やっぱり、もう新しい入れ歯は無理な可能性があるから、長く使っていた入れ歯をメンテナンスに出そう。新品同様になるし、それで食べられるようになる人も多いよ」

 しかし問題は、古い入れ歯をメンテナンスに出している数日間、新しい入れ歯しか手元にないので食べられない可能性が高いことだ。そのため、もう少し……とねばったものの、じりじりと日ばかりがたっていくので、「メンテナンス作戦」を決行することにした。

歯茎でもかめる食材は意外と多い

 ドラッグストアに行くと、「歯茎でもかめる」というコピーがついたレトルト食品がたくさんあった。「なんだ、これでいいじゃん」と思い、買い込んだものの、開けてみるとほぼ離乳食状態。病気の方だったらいいのかもしれないが、父の場合、これだとだめだ。困って看護師の友人に相談すると、「入れ歯が合わず、歯茎で食べてる人は多いから、それで食べられるものにすればいいんだよ。タマゴやお豆腐、レトルトのハンバーグ、けっこう歯茎で食べられるものはあるから、それで栄養とれれば十分だよ」と教えてくれた。なるほど。しかもそれは、日頃から父が食べているものではないか。以降、おかゆだけは買ってきたレトルトにし、あとは友人から聞いた食品を5日間繰り返した。生活の中で、「食べる時だけ入れ歯をはずす」という奇妙な日々ではあったが、なんとかうまくいった。

 そして古い入れ歯が戻ってきた。「すごくよくなってるよ。きれいになってるし、今の残った歯の状態に合ってるから、うまくいくんじゃない」と先生もうれしそう。入れて多少調整すると、明らかに父の反応がちがう。いつも「どうなの?」と聞いても煮え切らない返事だったが、「すごくいいみたい」とはっきり感想を言うではないか。家に帰ると、それで食事もある程度、普通にできた。3回ほど調整にいき、これでしばらく様子を見ようということになった。父も「調整にいく」と言わない。

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田中亜紀子(たなか・あきこ)
 1963年神奈川県鎌倉市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後、OLを経て、ライター。女性のライフスタイルや、仕事について取材・執筆。女性誌・総合誌などでは、芸能人・文化人のロングインタビューなども手がける。著書に「満足できない女たち アラフォーは何を求めているのか」(PHP新書)、「39.9歳お気楽シングル終焉記」(WAVE出版)。2020年5月、新著「お父さんは認知症 父と娘の事件簿」(中公新書ラクレ)を出版。

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