新・のぶさんのペイシェント・カフェ 鈴木信行
医療・健康・介護のコラム
希少難病患者として生きる
ここは、ある下町にあるという架空のカフェ。オーナーののぶさんのいれるコーヒーの香りに誘われ、今日もすてきなゲストが訪れて、話が弾んでいるようだ。(ゲストとの対話を、上下2回に分けてお届けします)
【今月のゲスト】
石原八重子(いしはら・やえこ)さん
1966年生まれ。愛知県在住。ファブリー病当事者。Fabry NEXT代表。ペイシェントサロン名古屋代表。
ファブリー病の石原八重子さん(上)
大きなキャリーバッグを押しながら、女性のお客さまがカフェの扉を開けた。厳しい夏の暑さの中を駅から歩いてきたと見えて、汗が噴き出している。
「こんにちは」
私が声をかける前に、女性の方から声をかけられた。数日前にもご来店いただいたことがある方だ。ただし、その時は、お話はしていない。
注文されたアイスコーヒーを運ぶころには、クーラーの利いた店内で、体は落ち着いてきたようだ。
「外は暑かったですよね?」
「そうなんですよ。でも、今日は、絶対に来ようと決めていたので」
思わぬ言葉が返ってきた。マスターとして数年、このカフェを経営しているが、このようなはっきりした目的を持ったお客さまは初めてだ。
「こちらでは、病気を持った人でも気軽にお話しできる場だと聞きまして……」
私自身もいくつか病気がある身なので、まぁ、確かにそうだ。しかし、目の前の女性には、見た目には病気がありそうもない。何の用だろうか。つい、けげんな顔をしてしまった。
診断がつくまでに、いくつもの診療科を
「あ、新幹線に乗って、来たんです! 私。ファブリー病という、難病を持っていまして……」
石原八重子さんという彼女。ファブリー病は生まれつきの病気であり、若い頃から疲れやすい体質だったほか、消化器の過敏な症状があったそうだ。しかし、診てもらった多くの医師ははっきりした診断をつけることができなかった。石原さんは心療内科などを含め多くの診療科を渡り歩いてきたという。その間も、症状は全く改善されなかった。
病気の症状の一つである眼科領域の症状を診た眼科医から、初めてファブリー病という病名を耳にしたのは、41歳の時だったという。
「病名がわかって、ようやくスタートラインに立てたと思った。ホッとする気持ちが強かった」と、石原さん。
確かに、病名がわからなければ、いまの医学では解決できないことが多い。
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