アラサー目前! 自閉症の息子と父の備忘録 梅崎正直
医療・健康・介護のコラム
脱走② 「バス通りの白線上を子どもが歩いてる!」と小学校に電話が…
夜中に部屋を抜け出して屋根の上で遊んでいた話は以前書いたが、そんな脱走癖が洋介に表れたのは2歳の頃。当時住んでいた横浜のアパートから一人で通りに出てしまったので、慌てて探しに出ると、丁字路で見知らぬ男性がものすごく怖い顔をして、洋介と立っていた。どうやら、車の前に飛び出して、本当に危機一髪だったようなのだ。その場はとにかく、何度も何度も頭を下げた。
玄関を飛び出しても危なくない家を探し
それが、記憶にある最初の「脱走」である。公園とか、買い物とか、どこかに行きたいという意思表示をしないまま、衝動的に飛び出していくから、こちらも虚を突かれてしまう。それから青くなって夫婦で探すのだが、なにしろ怖いのは、本人が危険を察知しないことだ。
そのため、このアパートから転居する際に重視したのは、洋介が突然、外に飛び出しても、車にはねられる危険が少ないことだった。横浜市内ではそれが難しく、結局、千葉の郡部に引っ越すことになった。
道路の白線の上を…
しかし、転居先でも、油断はできなかった。家からも、小学校の特別学級(現・特別支援学級)からも度々、脱走。捜索隊に校長先生までが加わったこともあった。洋介の姿が消えたとき、まず探すのは、近くのスーパーのお菓子売り場で、そこにいなければ、幼い時に遊んだ公園の遊具。しかし、思い当たる場所では見つからず、焦ることもあった。
ある時は、小学校に一本の電話がかかってきた。
「そちらの小学校の子どもがいる」
通りがかりのドライバーからだった。その人の話では、路線バスも通る幹線道路を運転していたところ、路上で洋介を発見したということだった。そして、詳しい状況を聞いて(僕らは先生からのまた聞きだが)、怖くなった。
「道路の白線の上を歩いている子どもを見て、慌てて車を止めて保護した」というのだ。そこは、昼も夜も大型のダンプカーやバスが通る幹線道路。保護した人の連絡では「白線」ということだったが、現地を見ればセンターラインのことと思われ、洋介は、道路の真ん中をひたすら白線に沿って歩いていたようだった。車を降りて、子どもを安全なところに連れて行き、話しかけても答えない。そこで、身に着けているもののどこかに学校名を見つけて、連絡してくれたと記憶している。比較的、通行の少ない時間帯だが、保護してくれた人も危険だったかもしれない。どこの誰かはわからず、ただただ感謝するしかない。
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