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町田忍の昭和回想

回想サロン

アイロンの 熱さを指で 確かめる

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 昭和は遠くなりにけり--。銭湯や手描き看板をカメラにおさめ、お菓子のパッケージを収集するなど、庶民の暮らしを見つめてきた町田忍さんが、懐かしいあれこれをイラストにして回想します。みなさんも古いアルバムや本、新聞を引っ張り出し、町田さんのイラストと合わせて、昔を振り返ってみてはいかがでしょうか。
 記事の最後にコメント欄がありますので、よろしければ、あなたの懐かしい思い出を投稿してください。

アイロン

 わたしが子供の頃、家でアイロンは大活躍だった。母は和裁の内職で、警察官だった父は制服から下着まで山のように積まれた洗濯物に、それぞれアイロンをかけていた。時折、「チィッツ」という音がした。見ると、父が指につばをつけて、アイロンに当てていた。今のアイロンと違って、温度調節ができないので、きっと温度を確かめるためだったのだろう。電気がつけっぱなしのまま置いてあるアイロンに、つい触ってしまい、やけどをしてしまったこともあったなあ。そんな父の姿を見ていたせいからか、今も私はアイロンがけが大好き。着るものが折り目正しく仕上がると、達成感がある。

 

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町田 忍(まちだ・しのぶ)
1950年、東京都出身。庶民文化研究家、エッセイスト。銭湯や缶ジュースなど100を超える研究テーマを持つ。著書に「町田忍の手描き看板百景-美あり珍あり昭和あり-」(東海教育研究所)、「戦後新聞広告図鑑」(同)、「マッカーサーと征露丸」(芸文社)、「銭湯 『浮世の垢』も落とす庶民の社交場」(ミネルヴァ書房)など。

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1件 のコメント

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四朗

シーちゃん

私は、昭和一桁生まれです。筆者さまは電気アイロンが思い出なのですね。 電気は、電灯に使うのが主で、我が家ではラジオでも使っていました。しかし、あ...

私は、昭和一桁生まれです。筆者さまは電気アイロンが思い出なのですね。
電気は、電灯に使うのが主で、我が家ではラジオでも使っていました。しかし、あたりが明るくなると、電気は止まってしまい、夕方になるまで通電してくれませんでした。
そんなに田舎とお思いでしょうが、東京の奥座敷と言われた秋川渓谷、五日市町のことです。
母が使っていたアイロンは、炭火を入れ加熱するものだった。まだ電化製品が出来てなく、温度調節は出来なかった。火鉢に焼きごてを入れて、細かい部分のシワを伸ばします。アイロンは火のしと言い、広い分のシワを取ります。
昼間も電気が来るようになったのは何時だったか、覚えていません。
ひと時代昔のことでした。

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