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ココロブルーに効く話 小山文彦

医療・健康・介護のコラム

【Track2】そこに、ピアノがあった。――意識不明の夫を見守る女性のパニック発作――

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回復を目指して、精神科病棟へ

 ユウジさんの脳挫傷は、まだしばらく経過を見る必要があるものの、転落によってできた血腫は除去済みで、生命にかかわることはありません。ただ、脳外科の診断では、認知のあいまいさ、それに 易怒性(いどせい) (怒りっぽさ)などが落ち着くまでは、少なくとも数か月はかかるとのことでした。さらに、完全に回復することが難しい可能性もあります。

 タカコさんがパニック発作を起こした翌日、脳外科と精神科の合同カンファレンスが行われました。ユウジさんの経過と予後(今後の見通し・診立て)をまとめ、タカコさんにお話しするのは私の役割となりました。悔しさや悲しみなど、彼女にはいろいろ思いがあるはずです。できるだけ理解してもらいやすいように言葉を選びつつ、事実はそのままに伝えました。

 前夜のパニック症状に立ち会えたことで、彼女と私の間には信頼、そして意思疎通できる素地ができていたのでしょう。タカコさんは、私の説明を気丈夫に受け止めてくれました。

 ただ、病院中を徘徊し、看護師にも大声をあげてしまう夫のことが気にかかっているようで、「病院に迷惑をかけてつらい」とのことでした。

 病院の脳外科病棟は、緊急性の高い患者さんが頻繁に入退院します。すでに急性期を脱し、易怒性や徘徊などの精神面の問題が残るユウジさんのケアには限界がきていました。脳外科側と調整し、彼には精神科病棟に移ってもらい、私が担当医を務めることにしました。

病棟での出会いと希望と

 精神科の病棟にはいくつかの種類があり、病状や問題行動の程度に応じて、開放レベル(保護と制限の範囲)の違いがあります。

 ユウジさんは、回復した患者さんが退院を目指す「ストレスケア病棟」に移りました。同じ病棟には、うつ病から回復し、復職を目指すK夫さん(47)や、摂食障害を克服しつつあるY美さん(23)、家庭問題からパニック発作を繰り返したJ子さん(37)らが入院していました。

 タカコさんと担当医(筆者)が付き添い、新入患者のユウジさんは「なんとなく」みんなに頭を下げます。J子さん、K夫さんらも、ていねいに 挨拶(あいさつ) を返します。Y美さんは、詮索好きな微笑を見せながら、いろいろと話しかけます。そんな雰囲気に、タカコさんも安心してくれたようでした。

 数日後、ユウジさんの脳波検査を行い、事故直後、それに1か月前のものと比べてみました。以前は、ぼんやりした意識状態を意味したり、けいれん発作を起こしかねなかったりといった異常所見が出ていましたが、それらはほぼ消えていました。確かな回復の兆しです。感情の起伏を抑えるバルプロ酸の内服とリハビリテーションの段階です。

 タカコさんに現状を説明し、ユウジさんにも回復していることを伝えました。

 「よかった。この調子で元気になって、おうちに帰ろうね!」

 タカコさんは、顔をほころばせて、まるで母親のように彼を励ましたのが印象的でした。絶望しかけた心中に希望の光を取り戻せたことは、その後の彼女自身を強く支える力になったのでした。

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小山 文彦(こやま・ふみひこ)

 東邦大学医療センター産業精神保健職場復帰支援センター長・教授。広島県出身。1991年、徳島大医学部卒。岡山大病院、独立行政法人労働者健康安全機構などを経て、2016年から現職。著書に「ココロブルーと脳ブルー 知っておきたい科学としてのメンタルヘルス」「精神科医の話の聴き方10のセオリー」などがある。19年にはシンガーソング・ライターとしてアルバム「Young At Heart!」を発表した。

 2021年5月には、新型コロナの時代に伝えたいメッセージを込めた 新曲「リンゴの赤」 をリリースした。

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