アラサー目前! 自閉症の息子と父の備忘録 梅崎正直
医療・健康・介護のコラム
「この子に障害がなかったら一緒にしたかったこと」をすればいい…背中を押され山へ
雷の音に耳を塞いで動かず…
もちろん、山で困ったこともある。長野の菅平から群馬県境の 四阿山 (標高2354メートル)に登ったときのことだ。ブヨに悩まされながら、 根子岳 から四阿山へ縦走。やや疲れたが、何事もなく下山する途中、迫る夕立に先駆けて、雷が鳴り始めたのだ。問題はこの「雷鳴」で、それほど大きくはなかったのだが、洋介にとってはとてもつらいらしく、耳を塞いで動かなくなってしまった。雨が降る前に下山したいので、結局、洋介のリュックを次男に持たせ、僕はその後の行程を、洋介を抱えて下山したのだった。まだ30代だったからできたのだが、今はもう無理だ。
心に刻んだ言葉
山に登るときの洋介は、とにかく登山靴を早くはいて、早く歩き出したい……と「せっかち」だった(それは今も)。ただ、楽しいとか、つらいとか、はっきりと気持ちを表現することはなかった。どう思っていたのか、知りたいところだ。
それより少し前、自閉症の息子と山梨・長野の県境にある 金峰山 に登っている父親を取材したテレビ番組を見たことがある。とても、自分たちには無理だと思っていた。ただ、背中を押す言葉をもらったこともあった。
ある国立病院で、心理の専門職に相談する機会があった。洋介は、前回触れた「つば飛ばし」が全盛の頃で、相談室でおもちゃを一通りいじったあと、その年配の女性から「全部、きれいに拭いてから帰ってください」と厳しく言われた。妻は「もう、二度と行かない」とプンプンしていたが、その女性の一言は僕の心に残った。
他の子のように、一緒にサッカーをしたり、ゲームをしたりできない。かといって、「たかいたかい」をしてあげる体の大きさでもない。どうすれば……と聞いたところ、女性はこう言った。
「お父さんが、『もし、この子に障害がなかったら、一緒にこんなことをしたかった』ということがあるでしょう。それをやればいいんです」
自分の「気の迷い」だったのか
しばらく続いた父と子の登山だったが、僕の父親が亡くなる前後の忙しさのなかで、いつの間にか途絶えてしまった。その頃の大量の写真をたまに見返すと、親子の一番の思い出のようでもあり、ただの若い父親の「気の迷い」のようでもあり、苦酸っぱいような複雑な味がする。(梅崎正直 ヨミドクター編集長)
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うちの2人の息子も小さい頃から周りにいろいろ言われてきました。 幼稚園では毎日のように先生から電話がきて、今でも下の子の小学校からの電話が怖くて...
うちの2人の息子も小さい頃から周りにいろいろ言われてきました。
幼稚園では毎日のように先生から電話がきて、今でも下の子の小学校からの電話が怖くてビクビクしてます。
でも、そんなんではダメですね、本当に私が信じて、ドーンと構えていないと、と感じました。
ありがとうございます、そして、これからも頑張って下さい。
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