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重かった十字架~「東京五輪の残像」著者インタビュー
ノンフィクション作家、西所正道さん
ノンフィクション作家の西所正道さん(59)は、56年前の東京オリンピックに出場しながら、その後連絡がつかなくなったり、自らの生きる場を求めて彷徨したりした選手の足跡を追った書籍「東京五輪の残像 1964年、日の丸を背負って消えた天才たち」(中公文庫)を刊行しました。出場選手357人の中には、その後、運命が暗転した選手もいました。この夏に開催予定だった東京オリンピックは延期になりましたが、そうした選手の軌跡をたどり前回の東京大会を回想することは、オリンピックの意味を考え直す契機となるのではないでしょうか。

「東京五輪の残像」を執筆した西所さん
出場選手に所在の分からない人がいる
東京オリンピックの後、継続的なデータを取るために出場選手に対して、4年に1度の体力測定が行われています。しかし、「通知を出しても戻ってくる郵便物があり、探しても所在の分からない人がいる」という情報を、西所さんはある新聞記者から聞きました。「オリンピックというスポーツ界の頂点に上り詰めた人にその後、何があったのだろう」という関心から取材を始めました。電話で居所を探し、取材依頼の手紙を出し、全国各地に出かけて元選手から話を聞くという作業を繰り返しました。ホッケーやフェンシング、陸上などの競技に出場した選手を中心に取り上げました。体操の遠藤幸雄さん、ボクシングの桜井孝雄さん、マラソンの君原健二さんのような有名人もいますが、全体に光よりも影にスポットをあてています。
「お会いした人は、有名な選手も含めて皆さんほとんどが大会後の人生に生きづらさを抱えていました。それは本人だけの問題ではなく、周囲にも原因があったと思います。周りの人は悪意がなくても、『オリンピックに出た人』という特別な目で見ます。そうした視線の中にあって、元選手たちの中には、恥ずかしいことはできない、という思いが高じて次第に生きづらくなる人もいました」
元選手はスポーツ第一の生活を続けてきたため、部活に勉強に遊びといった普通の学校生活を送ってきた一般の人たちとの思考や感覚のずれも生じていました。栄光に満ちた東京オリンピックを終えた後、目標を見失い、苦しい後半生を送る向きが多かったようです。
自国開催の東京五輪は特別だった
そして、西所さんが指摘するのは、東京オリンピックが自国開催だったことで、国民の関心と期待度は最高潮に達していたという時代背景です。「前回大会のローマオリンピックとは異なり、日本の戦後復興のシンボルのような大会でしたから、選手にかかる重圧は大変なものだったのでしょう」と話します。君原さんは、街角で人に出会うごとに「頑張ってください」と声をかけられるので、「自分は一生懸命頑張っている。もうこれ以上頑張れない」とまで思い詰めたそうです。マスコミの取材攻勢もありました。壮行会も各地で盛大に開かれ、選手の肩には通常の大会に輪をかけて重しがのしかかったような感覚でした。
「日本国民は、選手に自身の戦後の歩みを重ね合わせていたのでしょう。選手が頑張っているのだから、自分もやってやろう、というような気持ちが、まだ終戦から20年足らずですから、国民の間に強かったのだと思います」

1964年の東京五輪開会式で行進する日本選手団
五輪に出場したことは幸せだったのか
元選手たちを訪ねる旅を続けた西所さんは、ある傾向に気づきました。
東京オリンピックが終わった後、順調な人生を歩んだ人はポジティブに東京大会を振り返るのに対して、転職を繰り返すなどした元選手の中には「東京オリンピックさえなければ、普通の暮らしをしていたのに」とネガティブにとらえる向きもありました。大会後の人生によって、オリンピックへの評価も180度変わってくるのです。
西所さんは冷静に指摘します。
「オリンピックに出られるような人は、得意分野で最高のパフォーマンスを発揮した幸せな人です。でも、その人がほかの分野で活躍できるかどうかは分からないし、全く別の問題です。会社の営業マンとして成功するかどうかは分からない。体力、精神力が抜きんでているといっても、得意不得意があるのは人間として当然のことでしょう」
文庫の解説を書いた元陸上選手の為末大さんは、そうした元選手の引退後の置かれた状況、言ってみればフォロー不足は今も、東京五輪当時とあまり変わっていないことに驚いた、と鋭く指摘しています。西所さんいわく、「357人にとって、頂点を迎えてからの先の人生があまりに長すぎたのです」。オリンピック選手としてのキャリアをうまく生かせる環境があれば良かったのですが、日本社会は十分それを受け止められなかった――というのが、西所さんの見立てです。
ヨーロッパなどでは、地域にスポーツクラブが根付き、老いも若きもスポーツを楽しむ環境が整備され、元選手はその経験を社会に還元できます。それに比べ、日本の地域スポーツは発展途上で、企業スポーツが主体です。西所さんは「地域スポーツの文化が日本にあれば、元選手たちのその後の生き方も変わっていたと思います」と話します。

聖火ランナーを務めた坂井義則さんも五輪後、様々な葛藤を抱えた
「人生で大事なのは成功でなく努力」
西所さんは、この本の中で、「オリンピック競技で最も重要なことは、勝つことではなく、参加することである。人生で最も重要なことは、成功することでなく努力することである」という近代オリンピックの父・クーベルタン男爵の言葉を幾度も引用します。
「日本人は勝つこと、メダルの数を競うことに執着しすぎではないでしょうか。選手が持てる能力を十二分に発揮し、自己ベストを目指すことがオリンピックの目的であり、選手にとってオリンピックのあるべき姿のように思います」と強調します。そのためには、観客、日本国民も成熟する必要があるのではないか、とも提言します。「商業主義がはびこり、勝利至上主義となったオリンピックの姿を改め、クーベルタン男爵の初心に帰ることが、来年開催予定の東京大会に求められる理想でしょう」と西所さん。

東京五輪の残像(中公文庫)
「1964年の東京オリンピックは、経済が上り調子でいい時代に開かれました。オリンピックと70年(昭和45年)の大阪万博は、戦後の日本人にとって、回想するのが最も楽しい出来事でしょう。でも、その影の部分にも目を向けてほしいと願っています」。それは、西所さんがこの著作のために取材した12人のオリンピアンのメッセージ、そのものではないでしょうか。
(クロスメディア部 塩崎淳一郎)
西所 正道(にしどころ・まさみち) 1961年、奈良県生まれ。京都外国語大学卒業後、雑誌記者を経てノンフィクションライターに。著書に「『上海東亜同文書院』風雲録」(角川書店)「そのツラさは、病気です」(新潮社)「絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日」(エイチアンドアイ)、共著に「平成の東京12の貌」(文芸春秋)がある。
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