ウェルネスとーく
医療・健康・介護のコラム
[俳優 杉田かおるさん](下)毒舌キャラから「悪妻」女優、そして健康情報ユーチューバーへ
7歳の時に子役から出発して、清純派女優、そしてバラエティーの“毒舌キャラ”へ。さらに名家の実業家との結婚の失敗から、「悪妻」女優として人気を集め、一転、母の介護のために芸能界の仕事を減らしてきました。母を 看取り、今年、健康情報発信のユーチューバーになりました。変転著しい芸能界50年の杉田かおるさんの実像を探ります。(聞き手・渡辺勝敏、写真・中山博敬)
人生、大変なこともあるけど、それを笑いに
――バラエティー番組のトークは達者でしたね。
「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ系)に出るまで、台本をどう表現するかをずっと考えてきました。自分を抑制して役になり切って、脚本家の先生が書いてくださった大事なせりふを一言一句間違えずに伝える。技術的なお仕事ですね。でも、心のどこかに自分の言葉でしゃべりたいっていう思いがずっとあったんです。言ってみれば、自分が脚本家になって、自分の言葉で表現してみる。番組の収録は、全く台本がない状態で、おしゃべりしていましたね。
――“毒舌”は、どんなところから生まれたんですか。
私が育ったのは母子家庭。テレビや映画は男性社会で、その中で、子供や女性として生きてきました。抑圧された立場で社会と接してきたんですよ。大人になってからも父親の借金の肩代わりをさせられたのは、精神的にショックでしたね。自分なりに大変なことはあったけど、乗り越えて元気になって、強く生きてきた。バラエティー番組では、そういう経験を笑いに持っていって表現しようと思いました。笑い、それに毒とエロティシズムは、エンターテインメントの大事な要素ということも教わりました。さんまさんには、「毒舌をやめたら仕事が減るよ」って言われましたね。おしゃべりをすることで、自分の新しい道を見つけて、視聴者のみなさんにも共感していただけたのかなって感じていました。
男性に負けたくない その思いが結婚失敗の理由のひとつ
――バラエティー番組のトークで人気者になり、2004年には日本テレビ系「24時間テレビ」のチャリティーマラソンで100キロを完走。翌年には名家の実業家と結婚し、「セレブ婚」と話題になったかと思うと、半年ほどで離婚。話題には事欠きませんでしたね。
マラソンを走ったころ、紹介されるままに出会って、結婚ということになりました。仕事は順調でしたし、私には 傲慢 なところがあって、結婚には向いていませんでしたね。子供のころから仕事で家庭を支えてきたので、女性でもここまで頑張れるという思いがありました。男性が高圧的に出てきたら、もっと高圧的に出て、精神的に対等でいたいという気持ち。恋愛経験もそんなにありませんから、夫に対しても張り合ってしまって。今なら思えます。張り合う相手が違うって。
――一見、優しげな女性らしい印象とは違って、男性に対して負けたくないという意識が強いんですね。
男性社会の中で、キャリア志向で生きてきたんですよ。ドラマや映画の制作現場では、今なら女性も、プロデューサー、監督、照明、音声係といろいろな仕事をしていますが、昔は、ストップウォッチを持ってテレビの進行時間を管理する人しかいませんでした。その中で子供の時から働いてきたんです。仕事のためなら何でも犠牲にするタイプですよ。
妹がマネジャーだったんですが、「お姉ちゃん、体がきれいなうちに脱いでおいた方がいいよ」と言われれば脱がされ、100キロ走る仕事もあれば、高い所から飛び降りる仕事も。それに子供のころから、「女優」じゃなくて、「俳優」がいいなぁと思っていたんです。人にあらずという「俳」。「女優」とか「男優」という言葉には差別的なものがあるような気がしています。だから私の肩書は、女優ではなく、「俳優」です。
離婚後、ドラマの仕事が激増 悪妻や癖のある女の役
――7歳から子役として一家を支え、芸能界で生き抜いてきたというのはすごいことですね。最初の結婚はうまくいきませんでしたが、40歳代にはそれがきっかけで仕事が増えたそうですね。
このころからドラマや映画、舞台の仕事がダダダダッと入ってきました。結婚の話題性で、私のことを思い出してくださったのか、悪妻とか、癖のある女の役とかですね。すごく忙しくて、昼はバラエティー、夜はドラマの撮影という生活が10年ぐらい続きました。睡眠時間は4、5時間で不規則な生活なので、どんどん太ってしまいましたね。
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