「死にたい」に寄り添うには…松本俊彦氏に聞く
インタビューズ
「死にたい」に寄り添うには(1)この人なら分かってくれる…自殺予告の相手は「選ばれている」
「この人なら分かってくれる」

――それは、松本先生の臨床経験からですか。何か調査があるのでしょうか。
本当に死にたいと切羽詰まっている人に、アンケート調査なんてできないじゃないですか(笑)。ただ僕自身は、様々な患者さんの話から、さっき言ったように理解していて、患者さんたちに「そういう意味だよね」って確認すると、「そうなんです」って言ってくる人が結構いるんです。
一つは、戦略的な部分もあるんですよ。「死にたい」って言われると、周りの人間は、「なんでそんなこと言うの? 私がこんなに助けてあげてるのに、まだ死にたいの?」って、いらだつんですよね。「もうそういうこと言わないで」というふうに、「死ぬ」と言うこと自体に制限をかけるんですね。
でも、死にたいって言ってくれるのは、かなりマシなことなんです。もう、その人に何の期待もしてなかったら言わなくなるから。だから、医師や心理士など援助職をやっていて、患者さんやクライアントさんから1回も「死にたい」と言われたことがない人は、たぶん信頼されていない。自殺を考えて追い詰められている人も、死にたいって言うときは、相手を選んで言ってるんですよね。「この人なら分かってくれる」って。だから、言ってもらえるのは、ありがたい話だと思った方がいい。で、死にたい死にたい、って言いながらも死ぬ気配がなく、毎週、外来に通院してくる患者さんもいます。もう5年とか10年とか。
一方で、自殺してしまった方たちは、こちらも「なんか変だな」って思ったんだけど、本人も何も言わなくて、診察を終えて、「次の予約来るかな」と思っていたら来なくて、警察から連絡があって、「自殺しました」。
「しまった」って、ものすごく後悔するんですよね。だから、ほんとに我々は、悩んでいる人が胸に隠している「死にたい」という気持ちに気づかなかったことによって、「臨床現場で防げない自殺」を作ってるんだろうなあ、と思います。そういう意味では、安心して「死にたい」って言える援助関係とか治療関係、関係性こそが、追い詰められた人を救うんじゃないかなあと、私は思っているんですよ。
急に「死ぬ」と言わなくなったら…
――「死にたい」と言っていた人も、死ぬ直前には言わないことが多いのでしょうか?
それまで言っていた人が急に言わなくなることは、結構あります。自分の自殺を止めようとする人は、自分が楽になる唯一の行動・方法を邪魔しようとしている「敵」なんですよね。だから、秘密の計画が悟られないように、周到に、いつもと変わらないふりをしたり、いつもより元気そうにしたり、そうやって我々をあざむくことがある。
もちろん、我々もそれに気づいて、食い下がったりすることもゼロではないけれども、気づかないまま、「あ、もう大丈夫なのかな」と思って、軽く手を離してしまった時に……といったこともあるんですよ。
だから、その手前で「死にたい」って口に出してくれることが、いかにありがたいか。われわれ医療関係者も、患者さんから「死にたい」って言われると、正直、ドキッとするし、気が重くなる。それが仕事とは言え、ストレスを感じるわけです。しょっちゅう「死にたい」って言う患者さんには、「もういい加減にしてよ」という気持ちが湧いてきてしまうことがある。で、自分を安心させるために、「死ぬ死ぬって言ってるけど、そういうやつに限って案外、死なないんだよ」と、自分にとって都合のいい理屈を思いついたりすることもある。でも、そうじゃないよ、っていうことなんです。(松本俊彦 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部長)(続く)
松本 俊彦(まつもと・としひこ)
国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所薬物依存研究部長
1993年、佐賀医科大学(現・佐賀大医学部)卒。国立横浜病院(現・国立病院機構横浜医療センター)精神科、神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学病院精神科、国立精神・神経センター(現 国立精神・神経医療研究センター)精神保健研究所自殺予防総合対策センター副センター長などを経て、2015年から現職。17年から国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センター長を兼務。日本アルコール・アディクション医学会理事、日本精神科救急学会理事。主な著書に『自分を傷つけずにはいられない』(講談社)、『薬物依存症』(ちくま新書)、『「助けて」が言えない』(日本評論社)など。
2 / 2
【関連記事】
稀有な医師
からあげ醤油味
大変な分野で頑張っていらっしゃる先生だと思います。お体を大切にされてほしいです。
大変な分野で頑張っていらっしゃる先生だと思います。お体を大切にされてほしいです。
違反報告
死が人生選択の一つだと思える
慎
以前、自殺を考えたことのある現在20代人間です。 とある経験がきっかけで、2年ほど前から精神障害を発症しており、一番ひどいときに、死を考え、一度...
以前、自殺を考えたことのある現在20代人間です。
とある経験がきっかけで、2年ほど前から精神障害を発症しており、一番ひどいときに、死を考え、一度だけ、失敗しましたが、自殺を実行に移したことがあります。
その時の自分は、死ぬしかない、死んだほうが楽という感覚より、
人の生き方は変化していくもので、死とはその変化の延長であると思っていました。
だから、まるで高校三年生の時の進路選択をするときのような、就職活動で就職先を選択するときのような感覚で、死という選択肢が出てきました。
なので、周りに「死にたい」と漏らしたとき、なぜ止められるのか、人生の在り方はそれぞれなんだからなぜ自殺=止めなければならないものなのかがわかりませんでした。
現在、紆余曲折ありましたが、精神障害との付き合いは続きながらも、以前よりは前向きに生きていると思います。死にたいと思うようなこともほとんどなくなりました。
しかし、今でも、自殺という人生の選択が、他者によって止められなければならないものなのか、未だに答えが出ておりません。
私も自殺を思いとどまる理由が今はありますが、その理由が揺らいだり、無くなったりしたとき、きっと「また死ねばいい」と思うだろう、と思うのです。
私は精神医学について何か学んだわけではありません。
しかし、自殺企画者に寄り添うこと=自殺を止めること、ではないように思うのです。自殺を止めるのであれば、自殺しない理由を作り、それを増やし、揺るぎのないものにする、止めることより、止めた後のケアのやり方を理解することのほうがその苦しみの理解につながるのではないかと思いました。
それが、今の日本の、医療体制、環境下で、そしてもっともっと個人レベルで、できるのかと言われると、やはり難しいのが現実でもあるとも思います。
ですが、個人レベルで向き合えるものには向き合いたいとも思います。
つづきを読む
違反報告
大きすぎる心の傷と、器質障害
赤い羽
救えた命があるのではとお考えになるのは先生が素晴らしい心構えを持って従事されている事がよく分かります。 しかし、、あり得ないくらい酷い経験、こん...
救えた命があるのではとお考えになるのは先生が素晴らしい心構えを持って従事されている事がよく分かります。
しかし、、あり得ないくらい酷い経験、こんな悪い環境でよく生きてたと思うようなわされて、それに元々遺伝的な器質がある方は、健康的なコミュニケーションある社会的な居場所を選択せず、誤った友人や恋人、上司らのいる所は引き寄せられていきます。選択する脳がそういう流れを心地よいと判断しているから、つまり、我々健常者がいいと思う概念を経験する為の車に乗っていない様なものなのではと感じています。
だから、極端な事申し上げますが自殺して貰いたくなくてもある一定の割合の方では亡くなってしまう。そして、その極限の苦しみにおいては死の世界の方が幸せだという価値を持っている事自体悪いことではなく、誰かのせいでも無いのだと思います。
つづきを読む
違反報告