「死にたい」に寄り添うには…松本俊彦氏に聞く
インタビューズ
「死にたい」に寄り添うには(1)この人なら分かってくれる…自殺予告の相手は「選ばれている」
厚生労働省と警察庁は2019年の自殺者数を2万169人(確定値)と発表し、10年連続で減少したことが分かりました。しかし、1年間で交通事故死者数の6倍を超える人が自ら命を絶つという深刻な状況は変わっておらず、自殺死亡率は先進諸国の中で最も高いのが現状です。そこで、「死にたい」人に周りはどう接すればいいのか、国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦・薬物依存研究部長に話を聞きました。(山口博弥 編集委員)
自殺予告の裏にある思い
――「死にたい」という言葉には、どんな気持ちが隠されているのでしょうか。
「自分が直面している困難は解決不可能だ」「自分の中では万策尽きた気がしている」、そして、「この苦痛から逃れるための解決策は一つしかない。自分の一切の意識活動を停止させることだ」っていうのが、「死にたい」ということなんだと思うんですよ。
ただ、それを誰かに告げるということは、「死にたいぐらいつらい」「でも、そのつらさが少しでも和らぐのであれば、本当は生きたい」という気持ちもあるのだと思います。
――松本先生が実施した救命救急センターの調査では、自殺しようと思って過量服薬(睡眠薬などを大量に飲むこと)した人と、自殺とは別の意図から過量服薬した人とでは、前者の方で「自殺の予告」をしていた人が顕著に多い、という結果でした。
10年ほど前に、北里大学の救命救急センターに協力してもらいました。入院して薬が体から抜けて、意識がはっきりしたところで、「今回、薬をまとめ飲みした最初の動機は何だったのか」って聞いてみると、「死にたい」と思って薬を飲んだ人は半分しかいなかったんですよね。
それ以外の人たちは、死ぬことまでは考えなかったけど、「つらい気持ちを何とかしたい」とか、「『寝逃げ』したい」とか、「嫌な気持ちを忘れたい」という理由。この人たちの中で、クスリをまとめ飲みする前に、周囲に予告していた人は、一人もいませんでした。おそらく、つらい気持ちを、誰にも頼らず、薬をまとめ飲みすることだけで解決しようと考えていたのでしょう。
一方、「死のう」と思って飲んだ方たちの場合、約4割が死ぬことを事前に予告していました。死にたいと思っている人は、自分がいま直面している困難な問題を解決したいと思っているんだけど、「できない、やっぱり死ぬしかないか」と考える。でも、「死ぬしかないな」って思いながらも、「やっぱり、解決策があるんじゃないかな」と揺れているんです。その中で、4割ぐらいが、うっかり予告しているんだと思うんですよね。で、その予告することの背景には、「誰かが風向きを変えてくれるんじゃないか」という思いがある可能性がありますよね。
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以前、自殺を考えたことのある現在20代人間です。
とある経験がきっかけで、2年ほど前から精神障害を発症しており、一番ひどいときに、死を考え、一度だけ、失敗しましたが、自殺を実行に移したことがあります。
その時の自分は、死ぬしかない、死んだほうが楽という感覚より、
人の生き方は変化していくもので、死とはその変化の延長であると思っていました。
だから、まるで高校三年生の時の進路選択をするときのような、就職活動で就職先を選択するときのような感覚で、死という選択肢が出てきました。
なので、周りに「死にたい」と漏らしたとき、なぜ止められるのか、人生の在り方はそれぞれなんだからなぜ自殺=止めなければならないものなのかがわかりませんでした。
現在、紆余曲折ありましたが、精神障害との付き合いは続きながらも、以前よりは前向きに生きていると思います。死にたいと思うようなこともほとんどなくなりました。
しかし、今でも、自殺という人生の選択が、他者によって止められなければならないものなのか、未だに答えが出ておりません。
私も自殺を思いとどまる理由が今はありますが、その理由が揺らいだり、無くなったりしたとき、きっと「また死ねばいい」と思うだろう、と思うのです。
私は精神医学について何か学んだわけではありません。
しかし、自殺企画者に寄り添うこと=自殺を止めること、ではないように思うのです。自殺を止めるのであれば、自殺しない理由を作り、それを増やし、揺るぎのないものにする、止めることより、止めた後のケアのやり方を理解することのほうがその苦しみの理解につながるのではないかと思いました。
それが、今の日本の、医療体制、環境下で、そしてもっともっと個人レベルで、できるのかと言われると、やはり難しいのが現実でもあるとも思います。
ですが、個人レベルで向き合えるものには向き合いたいとも思います。
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救えた命があるのではとお考えになるのは先生が素晴らしい心構えを持って従事されている事がよく分かります。
しかし、、あり得ないくらい酷い経験、こんな悪い環境でよく生きてたと思うようなわされて、それに元々遺伝的な器質がある方は、健康的なコミュニケーションある社会的な居場所を選択せず、誤った友人や恋人、上司らのいる所は引き寄せられていきます。選択する脳がそういう流れを心地よいと判断しているから、つまり、我々健常者がいいと思う概念を経験する為の車に乗っていない様なものなのではと感じています。
だから、極端な事申し上げますが自殺して貰いたくなくてもある一定の割合の方では亡くなってしまう。そして、その極限の苦しみにおいては死の世界の方が幸せだという価値を持っている事自体悪いことではなく、誰かのせいでも無いのだと思います。
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