食べること 生きること~歯医者と地域と食支援 五島朋幸
医療・健康・介護のコラム
そばをフォークで食べておいしいか
渡辺清太さん(仮名、92歳)は脳 梗塞 を発症し入院。その後、胃がんも見つかって、手術も終えて無事に自宅に戻りました。渡辺さんは入院中に歯科医の診察を受け、むし歯だった歯を全部抜きました。入れ歯を作ってほしいということで、ケアマネジャー経由で依頼がありました。
渡辺さんの自宅は表通りから一歩入った古い住宅街。ご自宅は木造のかなり年季の入った家でした。呼び鈴もないのでそのまま門を入り、引き戸を直接ノックすると、中から息子の正巳さん(仮名)の「はーい」という返事が聞こえました。
がんで入院、歯をすべて抜いた

「こんにちは、歯医者の五島です」
「ありがとうございます!どうぞ奥です」と案内され、そのまま廊下を直進し、ドアを開けました。ベッドサイドに清太さんが腰掛けていました。
「こんにちは、歯医者です」
「これはこれは、ありがとうございます。すいませんねぇ、忙しいのに」
「いえいえ。それよりも渡辺さん、入れ歯がないんですって?」
「そうなんですよ。歯を抜かれちゃってねぇ」
「何本くらいですか?」
「8本だか9本だか。今じゃあ1本もなくなっちまって」
「えっ、そんなに抜いたんですか!」
「なんかねぇ。1本もなくなっちまって」
「そうなんですよね。がんの時はむし歯とか炎症のある歯はとにかく早めに抜いちゃうんですよ。入院前、入れ歯は使われていたんですか?」
「いや、使ったことないんで」
「それは困っちゃいますね。最初は大変だと思いますけど、とにかく入れ歯を作りましょう」
「早く入れ歯を入れてそばが食いてぇなぁ」
「じゃあ頑張って作りますね」
かめるようになって、そばを食べたい
上下の総入れ歯が完成し装着。2回ほど調整して、かんだ時の痛みも少なくなった。まだまだ硬いものは難しいのですが、少しずつ入れ歯で食べられるようになってきました。
「渡辺さん、これだったらもうそばも食べられるんじゃないですか」
「……」
無言で軽く視線を下におろした。少し意外な反応に、一瞬声が出なかった。
「どうですかねぇ。そんなに硬くないのでいけるんじゃないですかねぇ」
「先生、そばはいいや」
「えっ、どうしてですか?」
「この間、食べようとしたんだけど……箸が使えないんだよ、俺。右手がうまく動かなくて。それで物を食べるときはスプーンかフォークなんだけど、そばをフォークで突き刺して食べてもなぁ。バラバラになっちまうし。それってそばじゃないよなぁ」
「そうだったんですか。箸は難しいんですか?」と質問すると、そばにいた息子の正巳さんに「おい、持ってきてくれよ、箸とフォーク」
正巳さんが「はい、これ」と清太さんに箸を渡すと、普通に箸を持とうとしますがうまくいきません。握るように持つしかありませんでした。
「こうなっちゃうんだよ。スプーンやフォークならまだ何とか自分でできるけどなぁ」
「そうですかぁ。箸は難しそうですね」
「そばをすすりてぇなぁ」
かめても、箸が使えない
渡辺さんには脳梗塞によるまひがありますが、そうしたまひがなくても、高齢になると箸が持ちにくくなります。作業療法士さんに聞いたところ、右手の親指と人さし指、中指でつまむ力が弱くなるからだそうです。特に親指の力が落ちてしまい、はしがうまく使えなくなるそうです。それなりの訓練の方法はあるようですが、一般的な傾向から言えば、箸が使えなくなり、フォークやスプーンで食事をする方が増えてきます。
しかし、日本人にとって和食をフォークやスプーンで食べるには抵抗感があります。フォークを使うと言っても、スパゲティをくるくる巻くような動きは到底できず、突き刺したり、すくったりする動作が中心になります。皆さんも想像してみてください。そこに、大好きなもりそばがあるのに、箸を使えず、自分で口の中に入れるのが難しい状態。ストレスですね。
今現在、高齢者が使いやすい箸を作れないか仲間と研究中です。最期まで和食を箸で食べる。そんな当たり前のことを実現していきたいです。(五島朋幸 訪問歯科医)
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そばを健常者のように口元に持ってきてすする。 そこが生きる意欲の分水嶺になるのであれば、処理は難しいです。 別解はもっと簡単で、わんこそばをもっ...
そばを健常者のように口元に持ってきてすする。
そこが生きる意欲の分水嶺になるのであれば、処理は難しいです。
別解はもっと簡単で、わんこそばをもっと小さくすれば、麻痺の度合いによってはもっと簡単になるでしょう。
衰える身体を補う器材をどのように受け入れて落としどころを作るのか?
どちらかというと、精神的な問題の方が大きそうですね。
好きなものを食べつつ、できるだけ長生きしたい、その他の欲求の軸との綱引きになります。
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