夫と腎臓とわたし~夫婦間腎移植を選んだ二人の物語 もろずみ・はるか
医療・健康・介護のコラム
病は恋の起爆剤? がんになった母は父に…
「私、嫉妬しとるんやろうか」
私の母も、病をきっかけに父への恋心を再燃させた一人だ。両親は、私が物心ついたときには、もう、男女の関係にはなかった(と思う)。仲が悪かったわけではないけれど、2人の間に艶っぽい会話はゼロ。キスやハグをする姿など、一度も見たことがない。
ところが、母が64歳で卵巣がんを患うと、両親の関係性は変わった。
それまでの父は社交的で、毎日、地元の弓道場に通い、一度行ったら数時間は戻ってこなかった。一方、がんを患う前の母も、「夫不在でこれ幸い」といった感じで、趣味に没頭していた。それが、がんを患うや、母の矢印は父に向いたのだった。
ある時、母が、ため息まじりにこんなことを言った。
「お父さんが、弓道の女友達の話ばかりするんよ。ヤな感じ…。私、嫉妬しとるんやろうか」
私は、「母は、40年ぶりに父に恋をしているのだ」と思った。母はおしゃれに無頓着な人で、フルメイクした母の顔を見たのは、兄や私の結婚式くらいだった。そんな母が、自ら薬局で買ってきたというブルーのラメ入りアイシャドーで、おめかしするようになった。
父も変わった。母がいよいよホスピスに入ると、一日のほとんどを、母のいる病院で過ごすようになった。父は母の好物の「鶏めし弁当」や、補給食のゼリーやドリンクをせっせと病室に運んだ。母はもう何日も前から、点滴のみで栄養補給を行っているというのに……。父は最後まで母の回復を信じているようだった。
母の通夜 父がまさかの告白
がんを発症して約2年で、母は息を引き取った。その晩、葬式場に泊まり込んだ、父、兄、姉、私は、「しめっぽくなってもね」と、死に装束の母の隣で、ささやかな宴会を開いた。すると、酔っ払った父が、恥ずかしげもなく、子どもたちの前で、母との恋バナをはじめたのだ。
「お父さんが、母さんに一目ぼれしたって、知っとった? 母さんの何に惚れたと思う?」と、上機嫌に話は進む。兄、姉、私が、「うーんと?」と答えを探す間に、父は先を急ぐ。
「答えは、瞳です。母さんの瞳は、青かった。吸い込まれるような青。あの青い瞳に惚れたんよ」
母は生粋の日本人で、青い瞳であるわけがないが、恋する父にはそう映ったのだろう。父の恋バナは、深夜まで続いた。
リモートワークで増える夫婦の時間
独り身になって5年になる父は、毎晩、母の遺影をテーブルの上に置いて、一緒に夕飯を食べる。「母さん、おいしいね」とか、つぶやきながら。
世間は、コロナショックの話題で持ちきりだ。恋とか愛とか、そんな話をする余裕もないみたい。だからこそ、提案したい。
リモートワークで、夫婦が一つ屋根の下にいる時間が増えたのだ。どうだろう、「愛し合う時間」を設けてみては。「子どもがいるんだから難しいよ」と言われるかもしれない。いえいえ、たった10秒、手を握り合うだけでいいんです。ちょっと手を伸ばせば体温を感じられる――そんなささやかな幸せを、こんなときだからこそかみしめたい。(もろずみはるか 医療コラムニスト)
監修 東京女子医科大学病院・石田英樹教授
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