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一病息災

闘病記

[俳優 浜田光夫さん]目の外傷、急性膵炎(すいえん)(2)石原プロで酒仕込まれる

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[俳優 浜田光夫さん]目の外傷、急性膵炎(すいえん)(2)石原プロで酒仕込まれる

 1966年7月、けんかを仕掛けられ、右目にガラスの破片が刺さり、救急車で名古屋大病院に運ばれた。「目を取っちゃった方がいいかな」という医師の言葉に、「役者ですから、ぜひ、目を残してください」と叫ぶように訴えた。

 8時間かけて、32針を縫った。入院3か月で包帯は外れたが、光は感じても、視力は失われた。照明などの光がまぶしく、サングラスがいる。そして黒目に白濁が残った。

 「俳優としては致命的でした。声優になることも考えました」。昭和30年代、映画は最大の娯楽だった。その時代の青春スターが、売り物の目を傷つけられたのだ。

 入院は8か月に及ぶ。映画人たちは退院を待って応援してくれた。67年の復帰第1作「君は恋人」には、石原裕次郎、小林旭、坂本九……大スターが大勢出演した。「周りの人に 叱咤しった 激励され、照明にも気を使ってもらって、どうにかやることができました」

 娯楽の中心はテレビへと変わりつつあった。間もなく映画会社の日活から裕次郎さんの石原プロに移籍した。それが、後の急性膵炎にも影響していると思う。

 撮影所で会った時、あこがれの裕次郎さんに言われた。「家が近いそうじゃないか、遊びにおいで」。何度もお邪魔した。「浜田、ピッチが遅いぞ」。高級ウイスキーが次から次へと出てくる。お酒は大好きだったが、石原プロで徹底的に仕込まれた。

俳優 浜田光夫さん(76)

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