アラサー目前! 自閉症の息子と父の備忘録 梅崎正直
医療・健康・介護のコラム
「来てもらっては困る」と言われた幼稚園で…
終業式で先生が泣きだし…
1年がたって、年中組の終業式の日。このクラスでは最後のあいさつをする担任の先生が、突然、
「このクラスには、発達に遅れのある子がいます。保護者のみなさんには、ご心配をおかけしましたが、このクラスの子どもたちはとても優しい子ばかりです……」
と言って、ほろほろと涙を流し始めた。その瞬間、教室の隅でひっそりとしていた僕ら夫婦にスポットライトが当たった。そうか、先生、そんなに苦労してたのか。申しわけなく思うと同時に、この1年、保護者からどれだけの意見や苦情があったのか……と想像した。
すると、どこからか、
「お母さんからも……」
と促す声。戸惑いながらも妻がいくらか、「お世話になりました」などと話したと思う。その場は、なぜか「感動的」な雰囲気になっていて、涙するお母さんたちもいたけれど、僕はモヤモヤした気持ちでいた。妻も、頭は下げたものの、何か腑に落ちないようだった。「あれでよかったのだろうか」とは、今でも考える。
人を変える力
思えば、洋介に障害があることを医師に断言された3歳のときから、小学校に入るまでの約3年間は、僕ら家族にとって最も苦しい時期だったかもしれない。わが子を、自閉症を含む一つの個性として受け入れることが、少しずつ可能になるまでの葛藤、格闘、孤独、家庭内の緊張……。そんな状態だから、知らず知らず、洋介にもストレスを浴びせていたのだろう。突然、街中でパニックを起こすことも、この時期、多かった。
ところで、あの若かった担任の先生とは年賀状だけの付き合いになってしまったが、幼稚園はやめ、いつからか、障害者の通所施設で働いているという。洋介を任されて苦労した時間が「原点」となっているそうだ。障害があってもなくても、人は人を変え、周囲に新しい動きを起こす力を秘めている。(梅崎正直 ヨミドクター編集長)
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