アラサー目前! 自閉症の息子と父の備忘録 梅崎正直
医療・健康・介護のコラム
「来てもらっては困る」と言われた幼稚園で…
卒業、入学シーズンは、晴れやかな門出というより、何かと問題を抱えた思い出が多い。
引っ越した先には自閉症へのサポートはないと、医師に脅されながら、千葉の郡部に移り住んだのが1997年。洋介は3歳だった。幼稚園の年少組に入る年だったが、転居のバタバタと、まだ二語文が出てこない本人の状態もあり、入園は翌年に先送りしたのだった。その間は、音楽教室にスイミングスクール、ショッピングセンターにあったドラえもん幼児教室など、何か刺激になりそうなものには片っ端から入会し、近隣の市町にあった療育施設などにも、車で片道40~50分かけて通った。
幼児教室の先生が、「みんなが歌っている間、一人でカーテンと一緒に揺れていました」と報告したような状態がめざましく変わることはなく、あっという間に1年が過ぎた。

イラスト:森谷満美子
幼なじみの子が“告発”
4歳の春、洋介は、年中組から地元の公立幼稚園に入った。入園式で年配の園長が強調したのは、
「身の回りのことが自分でできない子が、来てもらっては困ります」
ということだった。それを聞いたとき、当の親は意に介さなかったが、近所のママ友から「言われちゃったね」と耳打ちされて、「ああ、洋介のことなのか」と気がついた。
新しい制服に身を包み、初めは機嫌よく通園していた洋介だったが、1週間もしないうち、朝には両耳を押さえ、行くのを嫌がるようになった。すると、幼なじみで同じクラスになった女の子が、「あのね、洋ちゃんが幼稚園で○○○されてる……」と教えてくれた。4歳児の証言しかなく、はっきり書くことができないが、このまま通わせておけないと考え、妻がすぐに退園を申し出た。その際、園長からも担任からも、引き止める言葉はなかったという。新調した制服も、わずか2週間ほどで不要になってしまった。

新しい制服もすぐに不要に
転園してのびのび
お向かいのお母さんの紹介で移った隣町の私立幼稚園では、過去に同様な経験があったこともあって、快く洋介を受け入れてくれた。介助を付ける手続きのため、初めて正式に医師の診断を受けた。このときの診断名は「多動性障害」ということだった。
農村部にある園は、広い敷地に手作りのアスレチックがあり、園児が毎日、泥遊び、水遊びができる個性的なところだった。前の園と違い、担任と介助の若い2人の先生が、とてもよく面倒を見てくれていた。のびのびとしているせいか、園児もその親も、他の子と同じように行動できない洋介に対しても寛容に見えた。そういえば、言葉を話さない洋介のことを、「洋ちゃんはエスパーなんだ。何でも知ってるんだ」などと言っている子もいたな。
1 / 2
【関連記事】
※コメントは承認制で、リアルタイムでは掲載されません。
※個人情報は書き込まないでください。