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医療・健康・介護のコラム

[女優・歌手 すみれさん](上)天然キャラは「カタコトだった日本語のせいで」 歌や舞台は「パパも応援してくれます」

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年の離れたきょうだいとも仲良し

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――ところで、ライブに行ったときの写真を、東尾理子さんがブログに上げていらっしゃいました。お父様の石田純一さんと、理汰郎くん、青葉ちゃんも一緒に写っていました。仲がいいんですね。

 パパは「次はもっと大きな会場でライブができるように頑張ろう」とか、応援してくれています。(年の離れた弟、妹である)理汰郎くん、青葉ちゃんとも仲が良くて、クリスマスや誕生日にはプレゼントをあげるとか、月1回くらいは会っているかな。

――デビューした頃、石田純一さんの娘の、という枕詞がつくのは、ご本人はどんな気持ちでしたか?

 最初はちょっと(触れられたくない気持も)あったので、芸名も名字はつけずに、「すみれ」だけにということになりました。でも、今はもう、みんな知っていることですし、特別な感情は何もありません。パパのことは、芸能界の大先輩だと思っています。

――以前に何かのインタビューで、「30歳までに結婚して、子どもは4人ほしい」と語っていらっしゃいました。

 30歳までというのはもう絶対、無理ですけど、結婚願望はとても強いです。子どもも大好きなので、本当にいっぱいほしい。にぎやかな家族ができればなあと思いますね。頑張ります。

「独り言も日本語で出るようになりました」

――テレビのバラエティー番組では、天真爛漫(らんまん)なキャラクターでも人気です。

 天然ぼけのところがありますから(笑)。やっぱり、10年近く前に日本に戻ってきたときには、日本語がカタコトで、発音もよくないし、単語や文法もめちゃくちゃでしたから。ただ、逆に、それをみなさんが面白がってくれて、テレビにも結構出させていただいた感じでしたね。

――大学を休学して日本に戻ってこられたのは、芸能活動のためですか。

 最も大きな理由は、アメリカで将来お仕事をしていくうえでも、まず日本の文化などについて、しっかり勉強したいと考えたからです。英語での生活が長くなったせいで、母(女優の松原千明さん)と話す際にも、日本語が上手にしゃべれなくなってきていたことも、大きかったです。

 2011年3月に起きた東日本大震災も、日本に戻ってこようと考えたきっかけでした。自分は遠いアメリカにいて、まだ何者でもないし、何もできませんでした。何か日本のためにできないかという思いがありました。

――今では日本語も流ちょうに。

 ぱっと英語が出てしまうことはありますけど、以前は独り言が英語だったのですが、今では独り言も日本語でしゃべるようになりました。数を数えるのも、英語ではなく、日本語で数えるようになりましたね。

女優・歌手 すみれさん

すみれ
 1990年、東京都出身。ハワイの高校在学中にモデルとしてデビュー。米・カーネギーメロン大学演劇科に進学後、2011年に女優、歌手として本格的に活動を始める。日米両国で映画、ドラマなどで活躍。20年4~5月には、ミュージカル「ジョセフ・アンド・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」(東京・日生劇場、大阪・オリックス劇場)に出演の予定。

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