フォーラム「がんと生きる」
イベント・フォーラム
【がんと生きる~こころとからだ 私らしく~】(上)がん 揺れる心支える
がんとの向き合い方などを考えるフォーラム「がんと生きる~こころとからだ 私らしく~」が1月19日、神戸市中央区の神戸芸術センターで開かれた。がん生存率が高まるとともに、がんと共存する時間も長くなった。抗がん剤などの副作用は体のつらさだけでなく、心にも影響する。無理なく治療を進めながら自分らしく生きる方策は――。医師や患者、家族らの話に約800人が耳を傾けた。
【主催】 読売新聞社、NHK厚生文化事業団、NHKエンタープライズ
【後援】 NHK神戸放送局、厚生労働省、兵庫県、神戸市、兵庫県社会福祉協議会、県医師会、県歯科医師会、県薬剤師会、県看護協会、県がん診療連携協議会、神戸市社会福祉協議会、市医師会、市歯科医師会、市薬剤師会
【協賛】 ツムラ
【コーディネーター】
町永俊雄さん/福祉ジャーナリスト 1971年にNHKに入局。福祉番組のキャスターを経て2011年から現職。
【パネリスト】
轟浩美さん/NPO法人「希望の会」理事長(東京) スキルス胃がんだった夫、哲也さん(故人)が2015年に設立したNPO法人を継承。難治性がんの患者や家族のために情報を発信している。
田村恵子さん/京都大教授 淀川キリスト教病院(大阪市)で看護師として緩和ケアにあたる。2014年から現職。15年に患者、家族、市民らが意見交換する「ともいき京都」を始めた。
宮本直治さん/がん当事者。がん患者グループ「ゆずりは」代表(兵庫)。薬剤師 2007年に胃がんと診断されて手術した。「ゆずりは」に入り、11年から代表。がん患者が自分らしく生きる支援をしている。
大塚尊子さん/がん当事者、看護師 1997年に乳がんを発症した。10年後に再発。骨やリンパ節、肝臓に転移。2016年、看護師として働いた病院を退職。ホスピスなどでボランティアをしている。
谷野裕一さん/神戸大特命教授 1987年、和歌山県立医科大卒。乳腺外科医。北里大准教授などを経て2018年から現職。10年に和歌山市にがん患者を支援するNPO法人を設立した。
緩和ケア悩み、不安も
町永 がんになっても自分らしく地域で暮らすために今、注目されているのが緩和ケアです。
田村 緩和ケアでは痛みなどを和らげていくことに注目しがちです。患者は仕事を誰が引き継いでくれるのか、学校に行けるのか、何で病気になったのか、今後どう生きていけばいいか、といった悩みを持ちます。これらがトータルペイン(全人的苦痛)です。患者の苦痛を取り除き、その人らしく生きていくことが緩和ケアの大きな方向性になっていると思います。
町永 亡くなることへのおびえや不安にどう向き合うのかも大きなテーマです。
田村 死について語ることは難しく、苦しいことです。でも死は避けられない。死ぬまでどう生きるか、私はどう生きたいのかをともに考える。これも緩和ケアに含まれます。
納得できる人生を送る
町永 医療者としてはどうでしょう。
谷野 がんというと、どうしても初めから死をイメージしてしまいます。重要なのは、がんをどう受け入れるか、治療に向かう気持ちになれるか、です。再発して治らない病気になる場合でも納得できる人生を送ることが大切です。
エベレストに登る時、荷物を持って一緒に登るシェルパという人たちがいます。医療者は、シェルパのようにお手伝いさせていただく。山に登る患者や家族が納得できるよう援助する医療を目指しています。
町永 がんになった当事者が語る意義はとても大きいですね。
大塚 私は肝臓と胸骨、あばら骨、背骨、腰骨、リンパ節にがんが転移しています。漢方薬で食欲が増して体力が付き、楽しんで生活を送れています。体調を崩し、痛みが出てくると、悪くなっていくんだ、という精神状態になってしまいます。体も精神も振れ幅が大きく、それが最も表れるのが、1か月ごとの腫瘍マーカーの検査です。悪化した結果を見た瞬間、体に鉛が入ったように重くなり、つらくなります。反対に検査結果がよくなった時は、背中に羽が生えたみたいに体が軽くなって、機嫌がよくなります。
町永 家族は第2の患者とも言われます。
轟 夫(胃がんだった哲也さん=故人)は死に向かって生きていたような気がします。ただ、そのうちに私たちは、「がん患者という人生」を生きるのではないということに気がつきました。
町永 死に向き合うことは、大きなテーマです。
宮本 私は胃がんになりました。病院で薬剤師を30年以上していましたが、思うことがあって僧籍を取り、ホスピスでの経験から、人間は死ぬんだということをヒシヒシと感じて患者会への参加を思い立ちました。
がんになると正しい情報をもらってもショックで足元がふらつきます。どう生きていけばよいかわからなくなります。それを自身の中に作る手伝いをしています。
治療と暮らし両立
町永 緩和ケアの医療的な側面はどうですか。
谷野 抗がん剤や放射線治療で出てくる副作用を抑えるだけでなく、治療と暮らしを支えることも大切。これらを含めた大きな意味での緩和ケアを実践しています。
町永 どんな副作用がありますか。
大塚 体がつらくて食欲が全くなく、家族とご飯を食べる喜びがなくなりました。横になって耐えるだけです。テレビも見たくない、音楽も聴きたくない。何も考えられなくて、誰とも、どこともつながっていないような……。自分がサナギになったような感じです。
田村 体の不調は心に影響します。吐き気が強いとご飯が食べられない。弱ってしまうのではと、夜眠れない原因になります。
轟 副作用は耐えるものだと、夫は思っていました。そこで何ができるかが私の生活の全てになりました。栄養をとらせたいと料理を作っても夫は食べられない。お互い無力感を覚えました。その時の思いが残り、夫が亡くなって3年たつまで、キッチンに立てませんでした。
谷野 長生きするため、生活の質は最低でも仕方ないというのではなく、生活と両立するような治療方法の選択、副作用の軽減が大切だと思います。抗がん剤による吐き気がほとんど出ない治療薬も開発されています。食欲不振や体のだるさを漢方薬で治療している医師も多いと聞きます。我慢せずに相談してください。運動でも、抗がん剤の副作用が少なくなります。
田村 脱毛は、抗がん剤治療で出てくる可能性の高い副作用です。朝起きたら枕に抜けた髪の毛がついているのが連日続くという体験をされます。指先がボロボロになることも。外見のケアは、社会で生きていくために不可欠です。こうしたケアが今後の課題です。
大塚 自分が(がん治療に伴って外見の変わった)自分を受け入れられない。頭の中では命が大事で、治療が優先と、思うんですけど、どこかに女性の心が残っていて、「なにか嫌だ」とも思います。
轟 夫は男性ですから、脱毛や爪の変色は我慢していました。ある時、看護師さんが手をさすってクリームを塗ってくれました。丁寧に。その時、夫が泣いたんです。看護師さんが触れてくれたことで多分、弱音というか感じているものを、話せるようになったのでしょう。「心の中にポッカリ空いたものがあったんだな」と気づきました。
忘れられない瞬間でした。孤立しないで人とつながることは、すごく大きな力になると思います。
宮本 がんになると、家族との会話は病気の話が中心になりがちです。「副作用どうなの」とか「頑張って」とか。「これ、おいしいね」という会話すらなくなってきます。一直線に治療に向かっていく中で、落とし物をしていることに気がつきません。轟さんのお話のように、手をさすってもらうことで体温を感じ、ふっと落とし物に気づく。
外見の変化ケアも大切
町永 がんと診断された途端、「がん患者」になってしまうということですね。
轟 夫はかつらを嫌がるので、せめておしゃれな帽子を、と探しました。でも、夫がしてほしかったのは、(患者ではない自分に)触ってもらうことだったと思います。
町永 症状によって抗がん剤は調整できますよね。
谷野 髪の毛が抜けるのが嫌だという人には、効く確率が低くても、髪の毛が抜けない薬を、先に選ぶこともあります。また、髪の毛のある自分を取り戻そうと頑張るのでなく、かつらでも違う自分が生まれることがあります。
田村 がん診療連携拠点病院などでは外見のケアも大切になってきています。かつらの試着ができたり、アドバイスを受けられたり、メーカーや美容師などを紹介してくれたりします。
町永 おしゃれは大きな力になります。
谷野 眉毛を描いただけでなく、「よくなったよ」と言ってもらうことが励ましになります。
大塚 「今までの自分と同じでなくてもいい」と自分に納得させる心の余裕がない。抗がん剤のつらさがいっぱいの人に、自分の内面を見つめ直すよう助言してくれる人も必要だと思いました。