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介護・シニア

積極的治療は不要の指示書を残した98歳、まさにその時「死にたくない」の訴え

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積極的治療は不要の指示書を残した98歳、まさにその時「死にたくない」の訴え

写真 幡野広志

 最近100歳になったばかりのSさん。老人ホームで暮らしています。そんな彼女は診察のたびに口癖のようにこう言うのです。

 「長生きしても何にもいいことない。もう早く逝きたい。」

 一昨年、そんな彼女が本当に死にそうになりました。肺炎から心不全が悪化。かなり厳しい状況でした。積極的治療は望まないと事前指示書には書かれています。ご家族も「もう十分頑張りましたから、あとはできるだけ苦しまないようにお願いします」と看取りの方針に同意、少しずつ居室の荷物の片づけを始めました。

 苦痛緩和の処置をして、静かに息を引き取るのを見守る。それが、本人が望み、家族も同意している彼女の人生の最終段階の支援のはずでした。

 しかし、診察をしている僕に、彼女は「先生、死にたくない……」と消え入るような声で訴えました。ケアをしていた老人ホームの看護師たちも、彼女の生きたいという意欲を見逃しませんでした。

治療で回復、今度は言う「早く逝かせて」

 そこで、できる範囲の治療をやろう、と方針を転換。点滴で抗菌薬の投与を開始すると、肺炎は徐々に改善。心機能も少しずつ回復し、酸素吸入も卒業できました。食堂への移動は車いすですが、食事は自分で全量食べられるようになりました。そして、彼女は少し顔をしかめながら今日もこういうのです。

 「長生きしても何にもいいことない。先生、もう早く逝かせて」

 人生の最終段階で、多くの人は、望まぬ医療やケアを受けることを恐れます。人工呼吸器や胃ろうを付けられ、たくさんのチューブが入った状態で心臓が止まるまで生かされる。そんな死に方をしたくなければ、あらかじめどこまで治療を希望するのか、はっきりさせておいたほうがいい。一般市民の間でもそのような意識が高まり、「終活」や「エンディングノート」などの言葉を耳にすることも多くなりました。

 そんな中、厚生労働省が提唱したのが「人生会議」というキーワード。人生の最終段階、納得できる医療やケアを受けるために、あらかじめ話し合いを重ねておこう。医療専門職の間でアドバンス・ケア・プランニング(ACP=Advance Care Planning)として知られているこのプロセスを一般市民にも知ってもらおう。そんなコンセプトでこのややこしい横文字を「人生会議」とネーミングし、普及啓発のために作ったポスターが物議を醸したことを覚えている方もおられるかもしれません。

 タレントの小藪千豊さんがベッドの上で、鼻にチューブを入れて険しい表情で横たわっています。「命の危機が迫った時、想いは正しく伝わらない。」のコピーに加え、最期を迎えた人の気持ちをイメージした長めの文章がありますます。「言うといたらよかった!こうなる前に……」。個人的にはデザイン的にもコンテンツ的にも、少しインパクトが強すぎると思いました。人生会議をしなければ、思うように死ぬことすらできない。なんとなくそんなニュアンスが伝わります。

●人生会議とは、何かをあらかじめ決めておくものではない。

●人生会議とは、死に方を考えるのではなく、最後までどう生きるかを考えるべきものだ。

●人の生死に関する議論を国がリードしようとするのがおかしい。

●十分に話し合っていたとしても、納得できる人生の最期が送れるとは限らない。

●十分に話し合いをできずに患者を見送った家族が、この文言によって傷つくのではないか。

 そんな意見が専門職や当事者の間で広がり、結局、厚労省はこのポスターの配布を中止しました。

人生会議とは、医療専門家も交えた共同での意思決定プロセス

 ACPとは「人生の最終段階の医療やケアを選択すること」ではありません。また、「あらかじめ何かを決めて書いておくこと」でもありません。ここで改めて整理しておきたいと思います。かつての医療は、医者に逆らうことは許されない世界でした。文句があるなら退院しろ、二度と俺の外来に来るな、そんな脅し文句を使う医者はいまでも存在します。このような方針決定の形は「パターナリズム」といわれています。

 しかし、時代は流れ、患者の権利意識は徐々に高まってきています。自分の身体、自分の命のことは自分で決めたい。そんな「患者の自己決定」という考え方が広がってきたのです。実際、「私は延命治療を受けません」「私はがんになっても放射線や抗がん剤は拒否します」、医療の現場でそんな患者さんたちにもよく出会うようになりました。

 一方で、医療は進化を続けます。これまでになかった選択肢が日々出現してきているのです。これまでは延命とされていた医療処置で、自分の人生を取り戻し、何十年も社会の中で活躍している難病の患者さんたちがいます。強い副作用が恐れられていた放射線治療や抗がん剤も、安全性や治療成績が向上し、がんの10年生存率は6割を超えるまでになりました。

 あなたにとって最善の選択は何なのか。選択肢が増加・変化していく中、最新の情報がなければ、最適な自己決定は難しいのではないでしょうか。だから、患者さんが一人で決めるのではなく、医療専門家も含めて一緒に考えていくのがいいのではないか、という考え方が広がってきました。これが「共同意思決定」です。

 治癒する病気であれば、方針決定は難しくありません。ほとんどの人は治療を選択するからです。パターナリズムで決められても、治って元気になれるのであれば、文句を言わずに従う人が大部分です。しかし、在宅医療を受けている患者さんのように、治らない病気や障害とともに、人生の最終段階の近いところを生きている人たちには、治癒という選択肢はありません。だからこそ、この「共同意思決定」は、納得のできる選択をするために非常に重要なプロセスなのです。

本人の判断能力が失われた場合の事前指示書……想定外の事態に対応できない

 「患者の自己決定」も「共同意思決定」も、本人が意思決定に参加できる、という前提に基づいています。では、本人の判断能力が失われてしまった時、どのように本人の思いを担保すればいいのでしょうか。そこで出てくるのが「事前指示書」です。

 本人が自分の決定内容をあらかじめ文書に書き留めておくのです。それによって、本人が、意思表示ができなくなったとしても、周囲はその文書に従えばよい、ということになります。日本尊厳死協会の会員はそれぞれ宣言書を作っていますし、エホバの証人の信者の方々も輸血を希望しないことについて文書で意思表示をされています。

 しかし、事前指示書には問題があります。そこに書かれていることしかわからないのです。人生、想定外のことが起こるものです。予想した通りの経過にならなかった場合、当然、事前指示は書かれておらず、現場では判断することができません。また「こんなはずじゃなかった」と本人が思っても、文書を書き換える能力が担保されていないと判断されれば、いや応なしにその文書に従わされることになります。

そこで重要になってくるのが、アドバンス・ケア・プランニング 、「人生会議」なのです。

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佐々木淳(ささき・じゅん)

 医療法人社団悠翔会理事長・診療部長。1973年生まれ。筑波大医学専門学群卒。三井記念病院内科、消化器内科で勤務。井口病院(東京・足立区)副院長、金町中央病院(同・葛飾区)透析センター長を経て2006年MRCビルクリニック(在宅療養支援診療所)設立。2008年、団体名を悠翔会に改称。首都圏12か所で在宅療養支援診療所を運営する。

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