アラサー目前! 自閉症の息子と父の備忘録 梅崎正直
医療・健康・介護のコラム
どうして「ハイハイ」ができないの!?…夫婦でお手本を見せた日々
洋介が生まれたのは、1993年の夏。当時、僕らが住んでいたのは、長野県の南部にある飯田市という小さな城下町だった。郊外に新病棟を建てたばかりの飯田市立病院に入院し、出産する運びとなっていた。93年と言えば、新党ブームのなかで自民党が過半数を割り、55年体制が終わったあの衆院選の年。羽田孜・新生党党首のお膝元だった長野県は全域が熱気に満ち、取材に忙殺されたが、その投開票日の7月18日が出産予定日だった(実際は大幅に遅れたのだが)。
予定日を過ぎても気配がないため、いったん退院。町の夏祭りを見てから、再度入院した。予定日から2週間が過ぎ、妻のお 腹 は張り裂けんばかりに大きくなっていたが陣痛は訪れず、医師からは「これ以上、陣痛促進剤を使いたくないが、このままにしておくと胎児が突然死することもある」と説明を受けた。突然死という言葉に脅されて、結局、陣痛促進剤を継続することにした。

イラスト:森谷満美子
あだ名は「ジャンボちゃん」
ようやく陣痛が始まったのが8月9日。多忙だった選挙取材も終わった僕は付き添うことができたが、そこから先も長く、生まれたのは24時間後の10日正午頃だった。お腹の中で良く育っていたため、体重は3685グラム。病棟では「ジャンボちゃん」とあだ名が付けられた。
ところが、僕はしばらく洋介を抱くことができなかった。すぐに保育器に移されたからだ。医師の説明では、羊水感染をし、黄だんが出ているとのことで、抗生剤の点滴を受けた。1週間もすると状態は良くなり、9日目には退院することができたが、「後々、何か問題が出るかもしれませんね……」という医師の言葉が胸に引っかかっていた。
楽しい日々の中で…
とはいえ、自宅の読売新聞飯田通信部に戻ってからは、初めての育児に 翻弄 されながらも、楽しい日々だった。洋介は、体つきがしっかりして、愛きょう満点の赤ちゃんだった。しかし、今思うと、通常の発育と違う点が一つあった。「ハイハイ」ができないのだった。
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すみませんでした
匿名希望
読んでいるうちに勝手に涙があふれてきました。ヨミドクターはよく読ませていただいていましたが、どうせ編集しているのは対岸の火事の人達なんだろうなと...
読んでいるうちに勝手に涙があふれてきました。ヨミドクターはよく読ませていただいていましたが、どうせ編集しているのは対岸の火事の人達なんだろうなと思っていたから。自分の僻み根性いっぱいの勘違いが恥ずかしいのか、分かっている人が情報を発信していることへの安堵なのか、久しぶりに泣きました。
発達障害のある子を持つ親のブログなどもよく読みますが、変にポジティブだったり、奇跡待ち(途中で健常になる)で確定診断がでると突然ブログを辞めてしまったりで、フラットな目線で書いている方がすごく少ないので、さすがにプロの目線と文章は違うのだなと思いました。
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