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医療・健康・介護のコラム

[元全日本女子バレーボール代表 高橋みゆきさん](上)「ニッポンの元気印」をやり切り、「もう卒業!」と思ったことも

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パワーと高さには、テクニックとスピードで

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――学校を卒業して、プロの世界に入っていくとき、覚悟に加えて、自信もあったと思います。身長では勝てないが、自分には「これ」がある、みたいな?

 プロになって、世界を相手に戦うとなると、身長2メートルぐらいの選手がたくさんいます。では、その人たちができないことで、私が武器にできることって何なのかと考えました。いくら、ジャンプ力を鍛えても、高さでは2メートルの人には絶対にかないませんから。

 パワーと高さで勝ち目がないなら、テクニックとスピードを磨けばいい。高いところから得点を決めても、ちょこんとボールを落としても、どちらも同じ1点です。それに加えて、試合中の視野を広げる練習もいやというほどやりました。

 最初に入ったプロチームのNECレッドロケッツには、先輩に大懸(現姓・成田)郁久美さんが所属していました。私と同じぐらいの身長で、日本代表でも活躍していました。大懸さんを間近で見て研究し、ご本人からもいろいろ教えてもらって、とても勉強になりました。そんな先輩が近くにいたのは、ラッキーだったし、すごく大きかったですね。

――その後、入団3年目に日本代表に選ばれました。

 シドニー五輪の予選が2か月後ぐらいに迫っている時期だったんです。最初はレギュラーで試合に出られるわけでもなかった。ピンチサーバーで出たときに、どうすればチームに貢献できるんだろうと考えて、サーブの練習ばかりをやったり。

――やがて、代表チームに欠かせない存在になりました。何かきっかけがあったのですか?

 当時の監督は柳本(晶一)さんでした。あとから聞いた話なのですが、柳本さんは、バレーボール協会から「身長の小さい選手は選ぶな」と言われていたらしいんです。それでも、テンさん(身長159センチのセッター、竹下佳江選手)とか、私のような小さい選手を選んだ。柳本さんは、「俺が必要だと思ったから選んだ。チームの核となって動いてほしい」と言われたんです。

 とにかく、結果がすべて。できる人がコートに立つ。自分ができなかったり、監督から「帰れ」と言われたりしたら、それまでです。だから、攻撃だけではなく、自分ができることは、サーブでもレシーブでもなんでもやりました。

 柳本監督は、テンさんとか、私のような選手を生かして、スピード力のあるチームを作ろうとしたのだと思います。それが、よかったな~と(笑)。

巧みだった、柳本監督のチーム作り

――日本は女子バレーの人気が高いのですが、高橋さんが代表で活躍していた2000年代は特にすごかった。国際大会の会場はいつも満員だったし、テレビでも地上波のゴールデンタイムに放映されて、高い視聴率を取っていました。

 柳本監督のチーム作りが巧みだったと思います。メグカナ(当時の若手人気選手コンビの栗原恵、大山加奈)を生み出したり。実際の選手たちは、目の前の相手に勝つことだけを考えていて、人気や視聴率などは、誰も気にしていませんでした。でも、お客さんがいっぱい入ってくれて、空気の塊のような歓声を送ってくれたのはパワーになりました。海外での試合とは、全然違ったムードでしたからね。

――有名になると、外を歩いたって注目を浴びちゃうでしょ。

 そうでもありません。試合と練習ばかりの毎日でしたから。全日本が解散すれば、すぐに日本のリーグが始まります。休みも少ないし。日常では、注目を浴びている印象はなかったな。

――テレビ画面では、試合中も笑顔いっぱいの元気なイメージでした。

 え、そんなイメージありました?(笑)。試合中は怖い印象だったと言う人もいますよ、うちのマネージャーさんみたいに(笑)。たぶん、時代によって、チームにおける立ち位置が変わると、見え方が変わると思うんですよ。

 たとえば、吉原知子さん(当時の代表のキャプテン)のようなベテランがチームを引っ張って、一番の若手には、栗原とかカナとかがいたときには、私は中堅の存在です。当時は、チームを盛り上げようと、得点が決まると、笑顔で走り回っていました。その後、ベテランになって、チームの軸になったときは、すごい形相になっていたと思います。

――テレビ中継では、アナウンサーが「日本の元気印 高橋みゆき!」と連呼していましたが。

 それは私が中堅選手だった時代です。そのうち、「元気印はやり切ったから、もう卒業!」って思うようになりました(笑)。

――あ、そんな時代もあったんだ!

 「元気印は下の子に任せる!」と(笑)。

――テレビ画面を通じて、ナイーブそうなメグカナコンビが悩みながら試合をしている雰囲気が伝わってきたので、なおさら高橋さんの明るさ、元気さが目立ちました。

 メグカナは、高校生のころからスポットライトを浴びるようになったことで、自分が知っている自分のレベルと、世間から期待されているレベルとのギャップに悩んでいました。人気が出ると、周囲はどんどん持ち上げるでしょ。中堅選手としては、安心してプレーができるようにしてあげたいと考えていました。

 でも、メグカナだって、いつまでもデビュー時のメグカナじゃなくて、時間とともに、どんどん変わっていく。みんな、上になっていけば、変わっていかざるを得ないですよね。 

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たかはし・みゆき
 1978年、山形県出身。元全日本女子バレーボール代表。高校卒業後、「NECレッドロケッツ」に入団。99年、Vリーグ新人賞。2000年、全日本代表に選出され、小柄ながら、スピードを生かした頭脳的な攻撃で、翌年から不動のレギュラーとして、チームに欠かせない存在に。05年からは、イタリア・セリエAの「ヴィチェンツァ」に加入。06年にはエースとして活躍した。12年、「トヨタ車体クインシーズ」を最後に現役引退。15年に一般男性と結婚、18年に第1子となる男児を出産。04年アテネ大会、08年北京大会と2度の五輪に出場した(いずれもベスト8)。

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