僕、認知症です~丹野智文45歳のノート
医療・健康・介護のコラム
「社会を変えるより、認知症の人を笑顔にしたい」と思ってたけど…
つながるバトン
希望大使の任命式では、渡辺さんが壇上でスピーチを行いました。5年前に血管性認知症と診断され、奈落の底に落ちたような気持ちになり、3か月で23キロも体重が減ったこと。知り合いや近所の人の言動に偏見を感じ、内心は傷ついたこと。でも今は、周囲にも支えられて、西香川病院で働きながら自分らしく生きていることなどを話しました。
そして、「丹野さんが、講演会で力強く話す姿を見て、自分もああなりたい、自分もこんな活動がしたいと思うことができました。丹野さんからもらったリレーのバトンが、西香川病院での活動につながっていったのです」と語るのを聞き、「私と一緒だ」と思いました。
今度は自分が
7年前、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断され、絶望の底に沈んでいた私に再び立ち上がる勇気をくれたのが、広島に住む竹内裕さんとの出会いでした。自身も認知症でありながら、人に優しく、明るく生きる竹内さんの姿に、「自分もこうなりたい」「負けていられない」と思い、生きる力がわいてきたのです(この時のことは、前のコラムをご覧ください)。
それ以来、私は「かつての自分のように、認知症になって不安の中にいる人を笑顔にする」ことを目標に生きてきました。だから、渡辺さんが今、心から笑っているのを見るのが、涙が出るほどうれしいのです。
よく、メディアの取材などで「社会をどう変えたいですか?」なんて聞かれるのですが、私はそんなふうに考えたことは一度もありません。それよりも、とにかく目の前の認知症の人を笑顔にしたい、という思いでした。
大使に任命された5人だけでなく、認知症になっても明るく力強く生きる姿が、周りの人に勇気を与えます。生き生きと暮らす認知症の人が日本中で増えることが、もしかしたら「社会を変える」ということなのかもしれないと、最近は思っています。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)
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